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【コラム】国民に代わって問う記者=韓国

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
最初は聞き間違いだと思った。大統領記者会見中に出てきた質問をめぐり「大統領に対する無礼」と評価したというからだ。さらには記者の質問態度を正すべきだとは。2024年の韓国を1924年の日帝強占期または、1824年の朝鮮時代とでも錯覚したのでなければ出てくることのない言葉だった。記者を大統領の部下程度に扱う発言に大多数のメディアが声をそろえて批判を浴びせたのは当然のことだった。「大統領を王として仕えろという話か」「王朝時代に生きているようだ」「軍事政権時代なのか混乱する」という表現で洪哲鎬(ホン・チョルホ)政務首席秘書官の封建的で権威主義的な認識を指摘した。黄相武(ファン・サンム)前市民社会首席秘書官の不適切発言の学習効果のためかあわてて陳謝したが「記者無礼」発言の波紋は簡単に鎮まらずにいる。

こうした発言が出てきた背景が何かを理解するためにその過程をもう少し詳しく見てみた。先月7日に開かれた記者会見で尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が何を謝罪するのかに対する質問は事実何回も登場した。最初の質問機会を得た記者は「頭を下げて謝ったが謝罪を決めた背景と理由は何か」と尋ねた。「記者会見に先立ち国民に感謝と尊敬の立場を見せるのが正しいと考えた」というはっきりしない答弁が出てきた。追加質問が続かず残念な状況でその「直球」の質問が出て、続けてマイクをつかんだ記者もやはり「すべて説明しにくいならば認められる部分、正確に謝罪ができると考える部分はどういうものか」と再び尋ねた。大統領は依然として具体的な言及をせず「どうであれ謝罪」するという言葉で記者会見を終わらせた。

そうして記者会見が忘れられていく中で19日に国会運営委員会で洪首席秘書官の時代錯誤的発言が出てきた。メディアの集中批判を受けた洪首席秘書官は「国民向け談話と記者会見関連答弁の過程で政務首席秘書官として適切でない発言をした点に対し釜山日報記者とメディア関係者のみなさんに謝罪する」という立場を明らかにした。この謝罪文で洪首席秘書官のメディア観と記者に関する考えを完全に理解できた。洪首席秘書官は直球質問をした釜山日報記者「個人」とメディアに「関係」する人にだけ謝るということだった。国民みんなが自身の発言で汚物をかぶったように感じたという事実をわからないのだ。洪首席秘書官が謝罪文を上げるべき相手は国民なのに。


30年ほど前に新聞記者として社会生活を始めた時に先輩記者から耳が痛くなるほど聞いた話がある。

「どんな人を取材しても、記者は個人でなく読者を、さらには国民に代わってすることだ」。

ひよっこ記者が力強い権力者を相手にする時には臆しやすいが、国民を代表するものであるから堂々と質問しろという意味だった。洪首席秘書官は釜山日報記者を1人の個人と考えたのだ。その記者が小さくは釜山日報読者に代わって、大きくは国民全体を代表したものとは全く考えることができなかったのだ。

記者会見場内で大統領に向き合う記者は国民の目と口、耳を代替する。記者が決して一個人になれない理由だ。そのため記者は権力者に鋭く、時には容赦なく質問する責任があり、その内容に聖域があってはならない。当然礼儀は守らなければならないが、礼儀だけ備えてすべき質問をしなかったりできなかったりするのはさらに大きな問題だ。もちろん大統領も記者の質問に、すなわち国民の問いに誠実に答える義務がある。国民が知りたいと思うことを尋ねさらにまた尋ねなければならない記者に無礼だったと責め立てたのはそのため時代錯誤的だ。

洪首席秘書官の謝罪内容は問題を大統領室とメディア関係者の間のことと縮小するものだ。今回の発言以前にも尹錫悦政権はメディアとの関係を大統領と記者の間の個人的関係から見るような態度を見せてきた。大統領の出勤途中の問答を一方的に中断したのが代表的な事例だ。「質問される大統領になる」と国民の前で約束しておいて大統領の前に立った記者の態度を口実にその約束を破った。もし今回も適当な時に記者を招いてキムチチゲを振る舞って「メディア関係者」との関係を改善すれば良いだろうと考えているのではないかと心配になる。メディアとの疎通をジャーナリスト個人個人との親睦企画程度に考えるならば国民との距離はさらに遠ざかるだけだ。

イ・ジェグク/成均館大学教授



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