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傍らで見たノーベル賞小説家・韓江…句点ひとつも軽々しく打たなかった(2)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版
私は、自分がこの作品の最初の読者という事実がいつも誇らしかった。原稿が到着すれば出力するが、出力した物を持ってプリンターから机3~4つを経て自分の席に戻る道に少しときめいたりもした。それは読者らが毎日連載を読む気持ちと変わらなかった。『少年が来る』は1980年5月18日から10日間あった光州民主化運動当時の状況とその後に残された人々の話を描いた作品だ。編集の考えは置いておきただ目で読んだ最初の読書の瞬間、その時私はたくさん泣いた。作家に送るメールに感想を書くたびに、この人物をどうにか描き出している作家の安否がしばしば心配になった。依然として5・18のトラウマを抱えて暮らしている人々を慰めるため全力を注いでいる作家を慰める人は最初の読者である編集者であるはずなのに。メールをやりとりする回数が増えこうした気持ちをさらに頻繁に交わすことができて良かった。そして早く連載が終わることを、作家がさっさとこの作品を振り払い少し安らかな気持ちになることを願った。

作家と直接会ったのは連載をすべて終えた後だった。数カ月間メールをやりとりし通話をしたからか久しぶりに会った人のようだった。写真の中の浅い微笑の明るい顔だろうと漠然と考えたが、作品に全てを吐き出したかのようにやせて疲れた体と心が明確に見え胸が痛んだ。『幼い鳥』一羽が抜け出たようなしかばねたちの言葉のない魂を慰めるためにろうそくを灯す小説の中の16歳の少年が重なって見えた。上下に黒い服を着た姿が依然として小説の中の人物を哀悼するように感じられたりもした。

「渾身の力を出す」という慣用句を目で直接見るならば多分当時の作家の姿だっただろう。だが落ち着いた声は少しほっとしたようにも聞こえたりもした。どれだけ苦しく至難な自身との戦いだったか。ましてそのことが5・18当時に息を殺しながら苦痛を受けた人たちの隠された話をひとつひとつどうにか広げてみせ彼らの痛みに触れ、その時代を証言する宿命のような使命を尽くす作業だったから。作家と別れてあいさつを交わし遠ざかる姿を見守った。多分2人きりで会ったなら一度抱きしめていただろうと後で考えた。ぎゅっと抱きしめればつぶれそうな弱い状態でおそらく軽く背中をなでてあげただろう。


連載原稿をやりとりしたその冬に私は作家韓江が毎日文学に接する姿を垣間見ることができた。私が見た韓江は崇高な求道者だった。あたかも切実な祈りをするようだったためだ。そしてその全ては真実に向かった真心だった。連載原稿を単行本にまとめる作業をしながら、韓江が1枚の絵を渡したことがある。作品の意味とイメージがよく込められているようだと話していたが、黒く暗い土台に祈る形に静かに合わせた手を描いた絵だった。祈る手の周辺が明るかった。本を作る間、その絵を机の前に掲げてしばしば眺めた。

鼻先をじいんとさせる場面の中に韓江の深い涙が込められているということを目撃したその毎日毎日の感動が今回の受賞を通じ改めて日常に戻ってくるようだ。私たちがノーベル文学賞受賞作家の作品を最も完ぺきに理解できる母国語でいつでも楽しめるということがとても痛快で誇らしい。多くの人々が文学作品を毎日読む人生を夢見る。人間の意味と価値を再確認し傷ついた魂が「明るい方に、光が差す方に、花が咲いた方に」(『少年が来る』より)進めるように道を開いた韓江に感謝を申し上げる。作家様、ノーベル文学賞受賞を心からお祝いします。

キム・ソニョン/『少年が来る』責任編集者、出版社ピンド代表


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