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【グローバルアイ】日本政府ができない、いや、しないこと

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

今回発見された長生炭鉱の坑道の入口 チョン・ウォンソク記者

「水が流れ込んできた! 天盤に穴が開いた!」

1942年2月3日午前9時30分ごろ、山口県宇部市の海底炭鉱で石炭を採掘していた人たちは驚いた。床波海岸の入口から1キロ沖に離れた地点の坑道の天盤に穴が開いた。海水が急速に流れ込み、人夫らは入口に向かって疾走した。転べばそのまま踏まれて立ち上がることができなかった。

水は坑道の入口まであっという間に押し寄せた。この日、よりによって採掘量を増やせという催促を受けた午前組の183人が出てくることができなかった。事故のニュースを聞いて飛び出した夜間組は入口を目の前にして海水に巻き込まれる同僚を目撃した。家族は海水が揺れ動く坑道を眺めて泣き叫んだ。その泣き声は数日間続いた。


安寧と健康を祈願する名称が色あせた長生炭鉱での惨事の話だ。この海底炭鉱は「朝鮮炭鉱」と呼ばれた。強制的に連れてこられた朝鮮人が鉱夫の大半だったからだ。犠牲者のうち136人は朝鮮人だった。

宇部市全体の石炭生産量の90%は長生炭鉱のような海底炭鉱から採掘された。きつい労働であるだけに待遇が良く日本人も好んだが、長生炭鉱は例外だった。危険だという噂があったからだ。

キム・ウォンダルさんは生前、母に送る手紙に「海の下の坑道では漁船のトントンという音が聞こえる」と書いた。「鉄条網と武装警備があるが、いかなる手法でも脱出して母のところに戻る」という彼は結局、人災で犠牲になった。当時、法で長生炭鉱は採掘してはいけなかった。地層の厚さが40メートルを超えなければならなかったが、30メートルだった。炭鉱の社長はその後、裁判で「法を違反した」と認めた。

事故は無関心と隠蔽の中で忘れられたが、半世紀が経過した後、日本の市民団体の努力で世間に知らされた。2013年には市民の募金の1600万円で追悼空間も設置された。犠牲者183人の名前を刻み、強制労働と惨事に対する謝罪を込めた追悼文も付けた。市民団体などは苦労して見つけた遺族らと日本政府に遺骨の発掘を要求した。日本政府は「遺骨の位置が分からない」として発掘作業に難色を示した。

市民団体らはクラウドファンディングを始めた。韓日両国で千円、万円が集まり、800万円に増えた。証言に基づいて掘削機を動員し、坑道を探し出して9月25日には入口を発見した。「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」の過去30年間の活動の結果だ。井上洋子代表は「国は遺骨の位置が不明のため調査は困難だといっているが、私たち市民がここに遺骨があるよと突きつけたい」と声を高めた。

チョン・ウォンソク/東京特派員



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