バドミントン女子シングルス世界1位の韓国の安洗塋(アン・セヨン、22、サムソン生命)が2024パリオリンピック(五輪)で「シャトルコック女帝」という事実を再確認させた。
安洗塋は5日(日本時間)、フランス・パリのポルト・ド・ラ・シャペル・アリーナで開かれた女子シングルス決勝戦で世界9位の何氷嬌(中国)を2-0(21-13、21-16)で完勝して金メダルを首にかけた。山口茜(日本)との8強戦(3日)やグレゴリアマリスカ・トゥンジュン(インドネシア)との準決勝戦(4日)とは違い、決勝戦はこれといった危機なく一方的勝利で終えた。
韓国バドミントンの五輪シングルス優勝は男女を合わせて1996アトランタ大会女子シングルスの方銖賢(パン・スヒョン)に続いて2回目だ。五輪金メダルも2008北京大会の混合ダブルス〔李龍大(イ・ヨンデ)-李孝貞(イ・ヒョジョン)ペア〕以降、16年ぶりとなる。金メダルを確定させた直後、感激した安洗塋はコートに崩れ落ちて立ち上がると観覧席に向かって咆哮した。
◇安洗塋「代表チームでプレーできない」
アッパーカットパフォーマンスを見せた後、太極旗を広げて持ってコートの上を走った。「パリでロマンを持って終わらせたい」という予告そのままに、ロマンチックなエンディングだった。
2021年に開催された2020東京大会が安洗塋の五輪デビュー戦だった。当時、種目最年少出場者(19歳)で注目されたが、8強で当時1番シードの陳雨菲(中国)に負けて脱落した。心機一転した安洗塋は成長を繰り返し、昨年からは世界的強者として君臨した。世界バドミントン連盟(BWF)世界個人選手権大会女子シングルスで優勝し、「今年の女子選手賞」を受賞した。年末に開催された2022杭州アジア競技大会では女子シングルスや団体戦など2冠に輝いた。インタビューや広告モデル、テレビ番組出演の要請が殺到したが、五輪準備のために断りトレーニングに専念した。
危機もあった。アジア競技大会決勝戦の途中にケガした膝が繰り返し安洗塋を困らせた。慢性的な痛みに体力まで落ちて大きな困難を迎えたが、峠にぶつかるたびに不屈の闘志を発揮して克服した。今大会8強戦と準決勝戦で続けざまに第1ゲームを落としながらも第2ゲームを取り返す底力を発揮し、「逆転の女王」というニックネームも得た。安洗塋は「(第1ゲームを落とすと)相当なプレッシャーになるが、精神がさらにクリアになる」とし「1点ずつ取っていけばいつか追いつけると思って耐えた」と話した。
授賞式後のインタビューで安洗塋は「7年間ずっと待っていた。夢が叶えられたので言葉で表現できないほど幸せ」と所感を明らかにした。2002年生まれの安洗塋は26歳になる2028LA大会で大会2連覇も可能だ。そのうえアジア選手権優勝履歴を追加すれば長年の目標である「キャリア・グランドスラム」(五輪・世界選手権・アジア競技大会・アジア選手権優勝)も達成できる。
一方、安洗塋はこの日インタビューの途中、自身の負傷に関連して、これまで感じていた苦しみを吐露した。特に大韓バドミントン協会に対する苦言も隠さなかった。「事実(アジア競技大会で負った膝の)けがが思ったよりもひどかった」と公開した安洗塋は「(負傷の状態に対して)軽微なものと考えていた代表チームの関係者にとても失望した。この瞬間を最後に、代表チームとずっと共にするのは難しいのではないかとも思う」と話した。続いて「(負傷直後、これと関連して)誤診が出た瞬間から耐えて競技をし、昨年末に検診してみると状態が思った以上に良くなかった」とし「トレーナーの先生が助けてくださったからここまでくることができた」と付け加えた。これに関連し、代表チーム関係者は「コーチングスタッフとの葛藤はなかった」とし「協会の支援不足に対する空しさを表現する過程で通称して『代表チーム』という表現を使ったようだ」と説明した。
安洗塋は5日(日本時間)、フランス・パリのポルト・ド・ラ・シャペル・アリーナで開かれた女子シングルス決勝戦で世界9位の何氷嬌(中国)を2-0(21-13、21-16)で完勝して金メダルを首にかけた。山口茜(日本)との8強戦(3日)やグレゴリアマリスカ・トゥンジュン(インドネシア)との準決勝戦(4日)とは違い、決勝戦はこれといった危機なく一方的勝利で終えた。
韓国バドミントンの五輪シングルス優勝は男女を合わせて1996アトランタ大会女子シングルスの方銖賢(パン・スヒョン)に続いて2回目だ。五輪金メダルも2008北京大会の混合ダブルス〔李龍大(イ・ヨンデ)-李孝貞(イ・ヒョジョン)ペア〕以降、16年ぶりとなる。金メダルを確定させた直後、感激した安洗塋はコートに崩れ落ちて立ち上がると観覧席に向かって咆哮した。
◇安洗塋「代表チームでプレーできない」
アッパーカットパフォーマンスを見せた後、太極旗を広げて持ってコートの上を走った。「パリでロマンを持って終わらせたい」という予告そのままに、ロマンチックなエンディングだった。
2021年に開催された2020東京大会が安洗塋の五輪デビュー戦だった。当時、種目最年少出場者(19歳)で注目されたが、8強で当時1番シードの陳雨菲(中国)に負けて脱落した。心機一転した安洗塋は成長を繰り返し、昨年からは世界的強者として君臨した。世界バドミントン連盟(BWF)世界個人選手権大会女子シングルスで優勝し、「今年の女子選手賞」を受賞した。年末に開催された2022杭州アジア競技大会では女子シングルスや団体戦など2冠に輝いた。インタビューや広告モデル、テレビ番組出演の要請が殺到したが、五輪準備のために断りトレーニングに専念した。
危機もあった。アジア競技大会決勝戦の途中にケガした膝が繰り返し安洗塋を困らせた。慢性的な痛みに体力まで落ちて大きな困難を迎えたが、峠にぶつかるたびに不屈の闘志を発揮して克服した。今大会8強戦と準決勝戦で続けざまに第1ゲームを落としながらも第2ゲームを取り返す底力を発揮し、「逆転の女王」というニックネームも得た。安洗塋は「(第1ゲームを落とすと)相当なプレッシャーになるが、精神がさらにクリアになる」とし「1点ずつ取っていけばいつか追いつけると思って耐えた」と話した。
授賞式後のインタビューで安洗塋は「7年間ずっと待っていた。夢が叶えられたので言葉で表現できないほど幸せ」と所感を明らかにした。2002年生まれの安洗塋は26歳になる2028LA大会で大会2連覇も可能だ。そのうえアジア選手権優勝履歴を追加すれば長年の目標である「キャリア・グランドスラム」(五輪・世界選手権・アジア競技大会・アジア選手権優勝)も達成できる。
一方、安洗塋はこの日インタビューの途中、自身の負傷に関連して、これまで感じていた苦しみを吐露した。特に大韓バドミントン協会に対する苦言も隠さなかった。「事実(アジア競技大会で負った膝の)けがが思ったよりもひどかった」と公開した安洗塋は「(負傷の状態に対して)軽微なものと考えていた代表チームの関係者にとても失望した。この瞬間を最後に、代表チームとずっと共にするのは難しいのではないかとも思う」と話した。続いて「(負傷直後、これと関連して)誤診が出た瞬間から耐えて競技をし、昨年末に検診してみると状態が思った以上に良くなかった」とし「トレーナーの先生が助けてくださったからここまでくることができた」と付け加えた。これに関連し、代表チーム関係者は「コーチングスタッフとの葛藤はなかった」とし「協会の支援不足に対する空しさを表現する過程で通称して『代表チーム』という表現を使ったようだ」と説明した。
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