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「嫌韓」が向かった日本の高校の反転…韓国語の校歌を歌って甲子園に行く

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

3日、高校野球の「聖地」と呼ばれる甲子園球場を踏むことになった京都国際高校の野球部員の勝利を祈願する行事がに行われた。 京都=キム・ヒョンイェ特派員

「東海を渡りし大和の地は、 偉大な祖先、古の夢の場所…」。



39度に達する記録的な猛暑となった3日、日本の京都。ムッとする体育館の中で汗を流しながら野球部員およそ60人が合唱を始めた。韓国語の校歌だ。大きな声で校歌を歌ったのは韓国系民族学教の京都国際高校の生徒たちだ。


サウナのような体育館で第106回日本全国高校野球選手権大会の優勝を祈願する壮行会に参加した野球部員らは勝利を誓った。部員らが高校野球の「夢の球場」と呼ばれる甲子園の土を踏むことになったのは2年ぶりだ。

野球の人気が高い日本では夏の甲子園は野球大会以上の意味を持つ。日本全国で約4000校が参加するが、このうち地域予選を通過した上位1%のチームだけが出場できるからだ。今年は49校が7日から優勝を目指して雌雄を決する。甲子園は日本のNHKが全試合を生中継するほど国民に愛されているが、京都国際高校は先月末、77校が出場した京都府の予選で優勝し、通算3回目の夏の甲子園チケットをつかんだ。

◆京都国際高校の奇跡

京都国際高校の発祥は1947年に遡る。京都府の在日同胞を中心に民族教育のために建てられた学校だ。

しかし在日同胞が日本に定着するにつれ、韓国式の教育を受ける生徒数が減った。悩んだ学校側が目を向けたのは野球だった。野球が好きな生徒を誘致しようというアイデアだった。そして1999年に野球部が設立された。

当初はうまくいかなかった。最初の大会では34対0で負けた。それでも学校と監督、生徒たちはあきらめなかった。徐々に野球が好きな生徒が集まり、信じがたいことが起きた。夏の甲子園進出だった。

在日同胞が設立した韓国系民族学校の京都国際高が今年夏、日本高校野球の夢の球場と呼ばれる甲子園に立つことになった。

2021年に京都国際高校が甲子園に出場し、韓国語の校歌が初めて甲子園に響いた。試合の初めに一度、勝利すればまた校歌を歌うが、京都国際高がベスト4まで進出する奇跡を起こし、大きな注目を集めた。

在日同胞社会では「感動した」という声が多かったが、困難もあった。「嫌韓」電話が学校に続いた。冷え込んだ韓日関係の影響だった。

すると今度は地域の住民が動き出した。警察が巡察する状況になると、地域住民が寄付金を集めて学校の前に防犯装置を設置し、応援の手紙と後援金を送った。韓国語の校歌を理由にした嫌韓電話が多く、教師らが校歌について悩んでいると、「これまで歌ってきた校歌をなぜ変えるのか」と言ったのは生徒たちだった。

◆韓日友好の象徴に

京都国際高校の白承桓(ペク・スンファン)校長は「韓国政府と日本政府が認める国際高校であり、韓国出身の生徒は10%にすぎず、残りは日本人学生」と説明した。韓国語と英語、日本語で教えるため、最近はK-POPとドラマが好きで入学する日本の生徒も増えたという。

現在、京都国際高校の全校生は138人。このうち61人が部活動で野球をするほど野球への愛が深い。シン・ソンヒョン(斗山)、ファンモク・チスン(LG)、チョン・ギュシク(LG)元選手がこの学校の出身だ。日本人選手も多数輩出し、「日本一」になるという生徒の夢も膨らんでいる。この日、行事を終えた後にも野球部員らは炎天下の運動場に出て練習をした。

白校長は「生徒数が少なく、施設は劣悪だが、生徒たちが学校の周囲を10周、20周ずつ走って練習している」と説明した。野球のボールが不足してテープを巻いて使用し、学校の運動場が狭いため近隣の民間野球場を借りて練習するほど状況は劣悪だった。生徒らが並べた野球のバットとグローブは年季が入っていた。

3年生の藤本陽毅主将は「他の高校とは違い、自分たちは日本人、韓国人から応援を受け、本当にうれしく思う」とし「韓国の方々にも勇気を与えることができるプレーをしたい」と話した。白校長は「甲子園に出て、多くの人たちに校歌を一度でも多く聞いてもらいたいという思いで子どもたちが最善を尽くしている」とし「京都国際高が韓国・日本友好の象徴になるようにしたい」と述べた。



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