新兵訓練所で中隊長の過酷行為で死亡したパク訓練兵が先月13日の入営式当時に母を背負う姿 [写真 軍人権センター]
江原(カンウォン)警察庁は息子の死亡から17日が経過してから加害者に指定された中隊長を初めて召喚し、24日後の修了式の前日に中隊長(大尉)と副中隊長(中尉)に対して職権乱用過酷行為と業務上過失致死容疑を適用して検察に拘束令状を申請し、春川(チュンチョン)地検は19日に令状を請求した。訓練兵を統率する助教や小隊長でなく中隊長が軍紀訓練をさせる極めて異例なことが起こり、また軍警察の初期調査と同じく実際に過酷行為があったと判断しながらも故意性が認められる傷害致死容疑を適用しなかった。過去にも繰り返されてきたことなのか、なぜ中隊長が無理な軍紀訓練をさせたのか、中隊長が女性であることを意識した軍の過剰保護はなかったのかなど、事件初期に提起されたいくつかの疑問は依然として何一つ明らかになっていない。軍は「警察が捜査中であり把握していることはない」という言葉を無限に繰り返していて、警察の捜査は非常識的に遅い。
息子の修了式に出席できない母は修了式の日、「修了生251人の中に私の息子だけがいない」として苦痛の中で手紙を出した。軍人権センターを通じて公開されたA4用紙2枚分の長い手紙を読むと、悲しみと怒りで感情が込み上げてくる。
母は息子が倒れた翌日の先月24日午前3時ごろ、意識なく集中治療室で人工呼吸器を付けている息子を見ながら罪人のように回復だけを待ったという。5時間後、「熱が下がらず、あきらめるなければいけない時がくるようだ」という医療スタッフの説明に対し、「応急ヘリコプターを飛ばす力がある親でなく、お前を殺すことになった」と泣き叫んだという。それもそのはず、最初に「息子が倒れた。速く(息子がいる病院に)来ることができる交通便を調べてみる」と訓練所側で連絡があった時、「私たちがどうやって行くのかではなく、速く応急ヘリコプターを飛ばして大きな病院に搬送してほしい」と叫んだという。しかしいかなる理由のためか、マニュアルにある応急ヘリコプターでの搬送はなく、息子は倒れた2日後の先月25日午後3時に亡くなった。
このように他界した息子の葬儀に来た大隊長が「私は(息子が倒れた)その日、部隊にいなかった」とし「服を脱ぐことになるようだ」と話したというのにあきれた。本人の部隊で、何も分からない兵士でもなくて幹部の中隊長が規定をすべて破った無理な軍紀訓練で訓練兵を死に追い込んだにもかかわらず、子ども亡くした親を前にして、あたかも「私の過ちではないが、悔しくも責任を負うことになった」というような発言をしたからだ。さらに中隊長が(暑さの中で体罰を受けて)倒れた息子にかけた最初の命令は「おい、立て!お前のために後ろが行けないだろ」だったという手紙の主張を読むと、なぜ韓国軍がこのようになったのだろうかと考えさせられる。
実際、昨年の海兵隊チェ上等兵死亡事件の時にも軍幹部の態度に驚いた。海兵隊捜査団の調査で容疑者に挙がったが抜けて全国を騒がせたイム・ソングン元海兵隊第1師団長が10日に出した嘆願書の内容に驚かされた。形式は部下の善処を要求する嘆願書だが、実際は殉職の責任を部下に押し付けながら「軍人は国家が必要とする時に黙って死んでくれるよう訓練される存在」とした。誰よりも軍将兵の士気を考慮すべき軍最高位幹部の口から出た発言とは信じがたい。戦時状況や国家危機状況で国民の安全を守ろうとして犠牲になったのではなく、非常識な展示行政のために虚しく亡くなった兵士にできる最も低質の暴言ではないかと思う。言葉を控えて耐えてきたチェ上等兵の母までが12日に公開手紙を書いたほどだ。
今回の訓練兵死亡の悲劇も、韓国軍が将兵をどれほど消耗品のように軽視しているかをまた表した。韓国軍が強軍になれないのなら、それは最近の若者たちが軍紀を欠いているからではなく、このような時代錯誤的な幹部のためだ。
アン・ヘリ/論説委員
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