文在寅前大統領が17日に公開した回顧録『辺境から中心へ』には北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長との疎通過程であったさまざまな秘話が盛り込まれた。金委員長が直接延坪島(ヨンピョンド)砲撃戦で苦痛を受けた住民を慰労したいと明らかにし、南北首脳間で電子メールでやりとりしようという破格の提案もしたという。
文前大統領は2018年の9・19平壌(ピョンヤン)共同宣言文案作成過程で金委員長のソウル答礼訪問時期を具体的に明示できなかった点を惜しんだ。「年内」にしようと提案するのはあまりに時期を区切るようで「この冬」「今年の冬」という2種類の修正案が議論されたといい。文前大統領は「金英哲(キム・ヨンチョル)統一戦線部長が『この冬』といえば来年2月末までとなり、『今年の冬』なら12月末までだと主張した」と付け加えた。結果的に平壌共同宣言には金委員長が望んだとおり「近いうちに」という表現が使われた。また、この時「いつか延坪島を訪問し、延坪島砲撃事件で苦痛を味わった住民らを慰労したいという金委員長の話があった」と文前大統領は伝えた。続けて「すぐにできることではなかったが、言葉だけでもそのように話すのは驚いた」と振り返った。
文前大統領は2018年5月26日に板門店(パンムンジョム)の北朝鮮側統一閣で首脳会談が開かれた際に金委員長が電子メールでの疎通を提案したと明らかにした。板門店での会談の数日前に開設された南北間の直通電話が実際に稼動されず、稼動を督促したところ金委員長は「労働党庁舎執務室に1週間に1~2回出勤しほとんど地方に行っているのでセキュリティが守られる電子メールですれば良いだろう」と答えたという。ノートパソコンを常に持ち歩いているので電子メールはいつでもやりとりできるという説明だったとした。
文前大統領は「直通電話は任鍾晳(イム・ジョンソク)大統領秘書室長と金与正(キム・ヨジョン)労働党副部長が管理することにし、首脳間では電子メールで連絡することでその会談で新たに合意した」と話した。この合意は金委員長がセキュリティに対する懸念が強く非公開事案に分類された。だが実際の電子メールでのやりとりは実現されなかった。北朝鮮側でセキュリティシステムを構築する作業が遅れた上に局面が悪化したと文前大統領は説明した。
文前大統領は任期序盤に設けた韓国国家情報院と北朝鮮統一戦線部の非公式連絡チャンネルも公開した。ここには当時の徐薫(ソ・フン)国家情報院長の長期にわたる対北朝鮮接触経験が一役買ったという。対談者である延世(ヨンセ)大学のチェ・ジョンゴン教授はこれを「文ロード」というコードネームで呼んだと説明した。文ロードはしばらくまともに稼動しなかったが、2018年からその役割をし始めたという。文前大統領は「私たちが北朝鮮に対話しようというメッセージを送り続けても北朝鮮は『確かに受け取った』としただけで一切答えなかった。そのチャンネルを通じて北朝鮮が初めて連絡してきたのは金委員長の2018年新年辞の直後だった」と明らかにした。北朝鮮の平昌(ピョンチャン)冬季五輪参加と南北対話復元の裏には文ロードがあったということだ。
文前大統領は、トランプ前米大統領が「全く理念的でなく互いに条件が合えば対話でき取引できる実用的性格を持っている」と評価した。トランプ氏が自身に「主導的な役割をしてくれるよう何度も頼んだ」とも明らかにした。「北朝鮮と対話と交渉を通じた非核化をしようとしてもプロセスをどうやって持って行くかのノウハウがないため、韓国がその案を考え教えてくれれば良いだろう」と要請してきたとしながらだ。これと関連し、チェ教授は安保室と外交部、国家情報院の最高専門家らが平和プロセスに向けたロードマップを作成しトランプ氏に伝えたという事実を初めて公開した。トランプ氏は朝米首脳会談が決まってから非核化と平和体制構築を同時に進めなければならない状況でプロセスとロードマップを心配し、「私が電話で説明すると、トランプ大統領がペーパーに整理して送ることはできないかと頼んできたりもした」と文前大統領は背景を説明した。
金委員長が開城(ケソン)連絡事務所爆破後の2021年5月に送った親書で事務所復元を提案したという事実も初めて明らかにした。文前大統領は「時間が流れた後、金委員長はそのことが申し訳なかったのか対北朝鮮連絡チャンネルを復元し南北連絡事務所を軍事境界線一帯に再び建設する問題を協議してみようという提案をしてきた」といった。
また、文前大統領は2018年4月の板門店での南北首脳会談当時メディアに公開しなかった金委員長との「徒歩の橋」で対話内容も紹介した。この席では1度目の朝米首脳会談場所に対する対話があった。文前大統領は「米国がそれなりに好意を持ってトランプ大統領のフロリダの別荘やハワイ、ジュネーブを提案したが、金委員長は自分たちの専用機で行ける範囲が狭くて難しいとした。米国側から飛行機を送ることもできるといったが、自尊心が傷つけられそうでできないという苦しさを率直に打ち明けた」と話した。その上で「北朝鮮が最も好む所は板門店、次がモンゴルのウランバートルだった」と話した。これに対し米国はウランバートルの場合、自分たちの警護基準に合うホテルがひとつしかないとして難色を示したという。文前大統領は「米国がそのホテルを使って、自分たちはゲル(モンゴル式テント)を大きく設置して使うこともでき、列車で寝泊まりするのに慣れている」という金委員長の話まで伝えたが、結局米国は受け入れなかったと回想した。
文前大統領は2018年の9・19平壌(ピョンヤン)共同宣言文案作成過程で金委員長のソウル答礼訪問時期を具体的に明示できなかった点を惜しんだ。「年内」にしようと提案するのはあまりに時期を区切るようで「この冬」「今年の冬」という2種類の修正案が議論されたといい。文前大統領は「金英哲(キム・ヨンチョル)統一戦線部長が『この冬』といえば来年2月末までとなり、『今年の冬』なら12月末までだと主張した」と付け加えた。結果的に平壌共同宣言には金委員長が望んだとおり「近いうちに」という表現が使われた。また、この時「いつか延坪島を訪問し、延坪島砲撃事件で苦痛を味わった住民らを慰労したいという金委員長の話があった」と文前大統領は伝えた。続けて「すぐにできることではなかったが、言葉だけでもそのように話すのは驚いた」と振り返った。
文前大統領は2018年5月26日に板門店(パンムンジョム)の北朝鮮側統一閣で首脳会談が開かれた際に金委員長が電子メールでの疎通を提案したと明らかにした。板門店での会談の数日前に開設された南北間の直通電話が実際に稼動されず、稼動を督促したところ金委員長は「労働党庁舎執務室に1週間に1~2回出勤しほとんど地方に行っているのでセキュリティが守られる電子メールですれば良いだろう」と答えたという。ノートパソコンを常に持ち歩いているので電子メールはいつでもやりとりできるという説明だったとした。
文前大統領は「直通電話は任鍾晳(イム・ジョンソク)大統領秘書室長と金与正(キム・ヨジョン)労働党副部長が管理することにし、首脳間では電子メールで連絡することでその会談で新たに合意した」と話した。この合意は金委員長がセキュリティに対する懸念が強く非公開事案に分類された。だが実際の電子メールでのやりとりは実現されなかった。北朝鮮側でセキュリティシステムを構築する作業が遅れた上に局面が悪化したと文前大統領は説明した。
文前大統領は任期序盤に設けた韓国国家情報院と北朝鮮統一戦線部の非公式連絡チャンネルも公開した。ここには当時の徐薫(ソ・フン)国家情報院長の長期にわたる対北朝鮮接触経験が一役買ったという。対談者である延世(ヨンセ)大学のチェ・ジョンゴン教授はこれを「文ロード」というコードネームで呼んだと説明した。文ロードはしばらくまともに稼動しなかったが、2018年からその役割をし始めたという。文前大統領は「私たちが北朝鮮に対話しようというメッセージを送り続けても北朝鮮は『確かに受け取った』としただけで一切答えなかった。そのチャンネルを通じて北朝鮮が初めて連絡してきたのは金委員長の2018年新年辞の直後だった」と明らかにした。北朝鮮の平昌(ピョンチャン)冬季五輪参加と南北対話復元の裏には文ロードがあったということだ。
文前大統領は、トランプ前米大統領が「全く理念的でなく互いに条件が合えば対話でき取引できる実用的性格を持っている」と評価した。トランプ氏が自身に「主導的な役割をしてくれるよう何度も頼んだ」とも明らかにした。「北朝鮮と対話と交渉を通じた非核化をしようとしてもプロセスをどうやって持って行くかのノウハウがないため、韓国がその案を考え教えてくれれば良いだろう」と要請してきたとしながらだ。これと関連し、チェ教授は安保室と外交部、国家情報院の最高専門家らが平和プロセスに向けたロードマップを作成しトランプ氏に伝えたという事実を初めて公開した。トランプ氏は朝米首脳会談が決まってから非核化と平和体制構築を同時に進めなければならない状況でプロセスとロードマップを心配し、「私が電話で説明すると、トランプ大統領がペーパーに整理して送ることはできないかと頼んできたりもした」と文前大統領は背景を説明した。
金委員長が開城(ケソン)連絡事務所爆破後の2021年5月に送った親書で事務所復元を提案したという事実も初めて明らかにした。文前大統領は「時間が流れた後、金委員長はそのことが申し訳なかったのか対北朝鮮連絡チャンネルを復元し南北連絡事務所を軍事境界線一帯に再び建設する問題を協議してみようという提案をしてきた」といった。
また、文前大統領は2018年4月の板門店での南北首脳会談当時メディアに公開しなかった金委員長との「徒歩の橋」で対話内容も紹介した。この席では1度目の朝米首脳会談場所に対する対話があった。文前大統領は「米国がそれなりに好意を持ってトランプ大統領のフロリダの別荘やハワイ、ジュネーブを提案したが、金委員長は自分たちの専用機で行ける範囲が狭くて難しいとした。米国側から飛行機を送ることもできるといったが、自尊心が傷つけられそうでできないという苦しさを率直に打ち明けた」と話した。その上で「北朝鮮が最も好む所は板門店、次がモンゴルのウランバートルだった」と話した。これに対し米国はウランバートルの場合、自分たちの警護基準に合うホテルがひとつしかないとして難色を示したという。文前大統領は「米国がそのホテルを使って、自分たちはゲル(モンゴル式テント)を大きく設置して使うこともでき、列車で寝泊まりするのに慣れている」という金委員長の話まで伝えたが、結局米国は受け入れなかったと回想した。
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