10年前、韓国系米国人シェフのジュディ・ジューが料理専門放送局を訪ねて「韓国料理を紹介したい」と話した時、反応は鈍かった。韓国と縁のない米国人が訪ねる韓国料理店もあまりなかった時代。ジュディは韓国料理の力を信じて放送局を説得し、「簡単に作る韓国料理」の放送にこぎつけた。同じタイトルで本も出した。彼女を韓国料理の世界化第1世代と呼ぶ理由だ。そんな彼女が先月ニューヨーク・タイムズに紹介したレシピはホットクだ。
同紙のクッキングセクションは同メディアの有料コンテンツの中でも独歩的だ。このセクションでホットク(Hotteok)のレシピは評点5点満点中の4点を記録し読者の熱い反応を集めた。英米圏でもすでに知られるビビンバ、キムチ、ラーメンを超え、新しい韓国料理を待っていた米国人の好奇心を正確に狙ったのだ。彼女と電子メールで会った。
ジュディはもともと金融家で高額の年俸でゴールドマンサックスやモルガン・スタンレーで活躍した。コロンビア大学を卒業し成功街道を走っていた彼女は突然そのはしごから自発的に下りてくる。「料理人になりたい」というのが理由だった。韓国戦争(朝鮮戦争)の渦中に北側から避難してきた後、苦労の末にソウル大学医学部を卒業した父と、名節のたびに必ず肉まんを作ってくれた母も彼女の思いを受け入れた。以下は一問一答。
――金融家から料理人に仕事を変えた契機は。
「モルガン・スタンレー資産分析チームなどで多くの経験をし成長できたが、金融市場と財務という仕事を愛することはできなかった。美食が好きで関連書籍を読むのが好きだったが、ある日料理業界がもっと幸せだろうと悟った。もちろん両親は最初は嫌がったが、すでに経済的に独立した娘の意向は曲げられなかった。私はすぐ料理学校に進学し、その後はまっすぐに進み続けた」
――シェフは体力的にも大変な職業だが。
「そうだ。1日に12時間以上働くのは基本だ。業務は基礎から少しずつ身につけていかなくてはならないため、人によっては単調で大変かもしれない。だがその過程をしっかり耐えて成長していくならば創造と実験ができる段階がくる。新しい味とレシピを作り出す経験は何とも比べられない」
――韓国料理世界化第1世代だが。
「多分私が作った『簡単に作る韓国料理』が(米国で作られた)初めての韓国料理番組ではないかと思う。米国だけでなく各国でシーズン2まで放映されたが、最初はアイデアをOKされるのも難しいほどだった。だがいまは韓国文化が自然に拡散し人々がもっと知りたがり学びたがる。本当にうれしいことだ」
――2024年現在の韓国料理はどんな魅力でアプローチすべきだろうか。
「まず海外に住む数百万人の韓国系同胞と、韓国をよく知る外国人が立派な大使だ。韓国の味を知り海外の文化も理解するためだ。米国で韓国式チキンが流行することになったのも最初は在韓米軍で勤務した米国人のおかげだった。韓国料理だからと必ずしも伝統を100%固守すべきとは考えない。きょうの発明があすは伝統になるためだ」
――具体的に説明してほしい。
「米カンザスシティに住む米国人夫婦がスパゲッティを作りながらソースにコチュジャンを入れてみるとか、英マンチェスターに住む若者がキムチを入れてジャガイモ料理を作ること、こうしたものはすべて韓国料理の拡張だ。その上でいま世界的に料理業界の話題、時代精神とまで言えるのがまさに醗酵食品だ。韓国料理の常数が発酵食品ではないか。今後も無尽蔵な魅力が韓国料理にはある」
――父親が北側の出身である点ももしかして影響を受けたか。
「幼い時期に私たち家族は必ず名節ごとに一緒にギョーザを作り、一緒に冷めんを食べたりした。父は北で良い暮らしをしていたが共産党に土地を没収され無一文で南に来て苦労の末にソウル大学医学部を卒業して医者になった後に米国に移住した。父は人生の教訓になってくれる人だ。母もやはり私の味覚形成に重要な役割をしてくれた。冷めんを食べる日には水冷めんと辛いビビン冷めんがともに上がったりしたが、仁川(インチョン)出身の母がビビン冷めんが好きだったためだ」。
ジュディは来年まで本の出版から放送、レストランオープンなどスケジュールがぎっしり詰まっているという。その中には韓国の番組『ピョンストラン』で料理の実力を知らせた俳優リュ・スヨンとのコラボも含まれている。彼女は「韓国に行けば最初に食べるのがスンドゥブチゲ。韓国に早く行って料理をたくさん食べて幸せになりたい」として笑った。
同紙のクッキングセクションは同メディアの有料コンテンツの中でも独歩的だ。このセクションでホットク(Hotteok)のレシピは評点5点満点中の4点を記録し読者の熱い反応を集めた。英米圏でもすでに知られるビビンバ、キムチ、ラーメンを超え、新しい韓国料理を待っていた米国人の好奇心を正確に狙ったのだ。彼女と電子メールで会った。
ジュディはもともと金融家で高額の年俸でゴールドマンサックスやモルガン・スタンレーで活躍した。コロンビア大学を卒業し成功街道を走っていた彼女は突然そのはしごから自発的に下りてくる。「料理人になりたい」というのが理由だった。韓国戦争(朝鮮戦争)の渦中に北側から避難してきた後、苦労の末にソウル大学医学部を卒業した父と、名節のたびに必ず肉まんを作ってくれた母も彼女の思いを受け入れた。以下は一問一答。
――金融家から料理人に仕事を変えた契機は。
「モルガン・スタンレー資産分析チームなどで多くの経験をし成長できたが、金融市場と財務という仕事を愛することはできなかった。美食が好きで関連書籍を読むのが好きだったが、ある日料理業界がもっと幸せだろうと悟った。もちろん両親は最初は嫌がったが、すでに経済的に独立した娘の意向は曲げられなかった。私はすぐ料理学校に進学し、その後はまっすぐに進み続けた」
――シェフは体力的にも大変な職業だが。
「そうだ。1日に12時間以上働くのは基本だ。業務は基礎から少しずつ身につけていかなくてはならないため、人によっては単調で大変かもしれない。だがその過程をしっかり耐えて成長していくならば創造と実験ができる段階がくる。新しい味とレシピを作り出す経験は何とも比べられない」
――韓国料理世界化第1世代だが。
「多分私が作った『簡単に作る韓国料理』が(米国で作られた)初めての韓国料理番組ではないかと思う。米国だけでなく各国でシーズン2まで放映されたが、最初はアイデアをOKされるのも難しいほどだった。だがいまは韓国文化が自然に拡散し人々がもっと知りたがり学びたがる。本当にうれしいことだ」
――2024年現在の韓国料理はどんな魅力でアプローチすべきだろうか。
「まず海外に住む数百万人の韓国系同胞と、韓国をよく知る外国人が立派な大使だ。韓国の味を知り海外の文化も理解するためだ。米国で韓国式チキンが流行することになったのも最初は在韓米軍で勤務した米国人のおかげだった。韓国料理だからと必ずしも伝統を100%固守すべきとは考えない。きょうの発明があすは伝統になるためだ」
――具体的に説明してほしい。
「米カンザスシティに住む米国人夫婦がスパゲッティを作りながらソースにコチュジャンを入れてみるとか、英マンチェスターに住む若者がキムチを入れてジャガイモ料理を作ること、こうしたものはすべて韓国料理の拡張だ。その上でいま世界的に料理業界の話題、時代精神とまで言えるのがまさに醗酵食品だ。韓国料理の常数が発酵食品ではないか。今後も無尽蔵な魅力が韓国料理にはある」
――父親が北側の出身である点ももしかして影響を受けたか。
「幼い時期に私たち家族は必ず名節ごとに一緒にギョーザを作り、一緒に冷めんを食べたりした。父は北で良い暮らしをしていたが共産党に土地を没収され無一文で南に来て苦労の末にソウル大学医学部を卒業して医者になった後に米国に移住した。父は人生の教訓になってくれる人だ。母もやはり私の味覚形成に重要な役割をしてくれた。冷めんを食べる日には水冷めんと辛いビビン冷めんがともに上がったりしたが、仁川(インチョン)出身の母がビビン冷めんが好きだったためだ」。
ジュディは来年まで本の出版から放送、レストランオープンなどスケジュールがぎっしり詰まっているという。その中には韓国の番組『ピョンストラン』で料理の実力を知らせた俳優リュ・スヨンとのコラボも含まれている。彼女は「韓国に行けば最初に食べるのがスンドゥブチゲ。韓国に早く行って料理をたくさん食べて幸せになりたい」として笑った。
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