中央日報「ザ・中央プラス」(有料)の企画シリーズ『ガールズグループ、女性コアファンを魅惑する』が指摘しているように、アイドルファンダムは女性が主導するようになって久しい。過去のオッパ部隊(男性アイドルの追っかけをする若い女性)とは違い、今やガールズグループも主要な応援の対象だ。フェミニズムの成長とも無関係ではない。彼女たちのファン心には単なる類似恋愛感情を超えて、応援するアイドルの成功神話を消費したいという欲求がその中心にある。BLACKPINK(ブラックピンク)が見せたようにK-POPグループの成功は世界的水準に拡大した。
したがって彼女たちの目には、カリナの熱愛報道は単なる「私生活」問題ではなく、共に感動的な成功神話を書いていこうとした共同の幻想をぶち壊す事件として映ったのだ。商業的成功と自己啓発に対する強迫が蔓延した韓国社会の陰の面といえる。
アイドルファンダムが持つ競争心理は男性ファンが多くの確率型アイテムゲーム(ガチャゲーム)からも垣間見ることができる。ゲーマーは売上順位や人気キャラクターの課金実績などに神経を尖らせる。ゲームで自分が好きな美少女と内密な関係を構築するために課金に応じるのは必須であり、これがゲーム産業のビジネスモデルとしてその位置を確立した。「課金ラー(お金を出して有料ゲームを楽しむ人々)」もゲーム産業を支える核心的な消費者と認識されている。
アイドル産業でも憧れのスターからのメッセージを1対1チャットルームで受け取り、返事を送ることができる購読型メッセージサービスが広がった。ファンサイン会に応募するためにアルバムを大量に購入することもある。スターとファンの間の疎通に課金的要素が強化された格好だ。このようにみると「コアファン」を自負するファンダムの間には一種の「株主意識」が強化される傾向がある。
当然、自分が好きなキャラクターや歌手も誰かに恋愛感情を抱くことがある。しかし重要なのは、それを自由な想像の領域に残さなければならないということだ。そのような個別的幻想に対する没入を支えるためにも、表面的に「成長」のような「共同の大義」を志向するといった中立的方向設定が必要だ。一部のカリナ・Aespa(エスパ)ファンが耐えられなかったのはそういった公式設定の崩壊、ゲームにたとえれば一種の「キャラクター崩壊」だったのだ。
現実的にK-POP産業の急速な成長はこの「過没入」がなければ不可能だ。制限された内需市場のため少数の情熱ファンダムの購買力に頼ることになった。それでも私生活問題で傷つく「実存する個人」を忘れてはいけない。いくら巨大な文化産業でも「自由な個人」を尊重してはじめてさらに豊かな実を結ぶことができる。今回の事態は急成長を遂げたK-POP産業に疑問を問いかけている。ゲームや映画プロローグを見ると、「実際に起きたことからインスピレーションを得ただけで基本的にフィクションの創作物」という文面を簡単に見ることができる。K-POP産業でも歌手が象徴するキャラクターと、生きて呼吸する個人を分離する「メタ認知」が必要ではないだろうか。
パク・ガブン/作家
◇外部者執筆のコラムは中央日報の編集方針と異なる場合があります。
【コラム】ガールズグループは恋愛も許しを乞わないといけないのか…過激ファンダムに頼るK-POPの素顔(1)
したがって彼女たちの目には、カリナの熱愛報道は単なる「私生活」問題ではなく、共に感動的な成功神話を書いていこうとした共同の幻想をぶち壊す事件として映ったのだ。商業的成功と自己啓発に対する強迫が蔓延した韓国社会の陰の面といえる。
アイドルファンダムが持つ競争心理は男性ファンが多くの確率型アイテムゲーム(ガチャゲーム)からも垣間見ることができる。ゲーマーは売上順位や人気キャラクターの課金実績などに神経を尖らせる。ゲームで自分が好きな美少女と内密な関係を構築するために課金に応じるのは必須であり、これがゲーム産業のビジネスモデルとしてその位置を確立した。「課金ラー(お金を出して有料ゲームを楽しむ人々)」もゲーム産業を支える核心的な消費者と認識されている。
アイドル産業でも憧れのスターからのメッセージを1対1チャットルームで受け取り、返事を送ることができる購読型メッセージサービスが広がった。ファンサイン会に応募するためにアルバムを大量に購入することもある。スターとファンの間の疎通に課金的要素が強化された格好だ。このようにみると「コアファン」を自負するファンダムの間には一種の「株主意識」が強化される傾向がある。
当然、自分が好きなキャラクターや歌手も誰かに恋愛感情を抱くことがある。しかし重要なのは、それを自由な想像の領域に残さなければならないということだ。そのような個別的幻想に対する没入を支えるためにも、表面的に「成長」のような「共同の大義」を志向するといった中立的方向設定が必要だ。一部のカリナ・Aespa(エスパ)ファンが耐えられなかったのはそういった公式設定の崩壊、ゲームにたとえれば一種の「キャラクター崩壊」だったのだ。
現実的にK-POP産業の急速な成長はこの「過没入」がなければ不可能だ。制限された内需市場のため少数の情熱ファンダムの購買力に頼ることになった。それでも私生活問題で傷つく「実存する個人」を忘れてはいけない。いくら巨大な文化産業でも「自由な個人」を尊重してはじめてさらに豊かな実を結ぶことができる。今回の事態は急成長を遂げたK-POP産業に疑問を問いかけている。ゲームや映画プロローグを見ると、「実際に起きたことからインスピレーションを得ただけで基本的にフィクションの創作物」という文面を簡単に見ることができる。K-POP産業でも歌手が象徴するキャラクターと、生きて呼吸する個人を分離する「メタ認知」が必要ではないだろうか。
パク・ガブン/作家
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