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【コラム】キューバに意表を突かれた北朝鮮の「2国家」主張(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

キューバ指導者の平壌(ピョンヤン)訪問 金正恩委員長

韓国とキューバの修交宣言はまさに歴史的だった。韓中修交よりも劇的という評価を受ける。1992年8月の韓中修交当時に金日成(キム・イルソン)主席が受けた衝撃よりも、今回の韓国-キューバの電撃修交を聞いた金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長の衝撃の方が大きいという診断もある。修交発表から半月以上が過ぎても北朝鮮が修交に対していかなる公式反応を出せないのをみると内傷はかなり大きいようだ。

実際、韓国とキューバの交流の歴史は日帝強占期の1921年まで遡る。1905年4月に韓国人1033人が求人広告を見て仁川(インチョン)から太平洋を渡り、メキシコ・ユカタン半島のエネケン農場に行った。このうち288人が「砂糖産業が好況でサトウキビ農場で大金を稼ぐことができる」という言葉を信じて1921年3月、蒸気船に乗ってキューバに到着した。しかしサトウキビの価格が暴落し、エネケン農場で働きながら延命した。

韓国人は苦難に屈しない強靭な生命力で遠く離れた異郷の地に徐々に定着していった。現在はキューバに1000人ほど暮らしている。イム・チョンテク(1905-1985)元キューバ韓人会長は韓国人勤労者の薄給から少しずつ集めた寄付金を臨時政府に独立資金として送ったりもした。


今回の修交以前にも韓国とキューバ政府の交流はかなり以前にあった。1898年にスペインの支配から独立したキューバは1949年7月に大韓民国政府を承認したが、その間、公式修交はなかった。韓国戦争(朝鮮戦争)期間にはキューバが27万ドルを支援し、1957年に当時のバチスタ大統領が使節団を韓国に派遣し、李承晩(イ・スンマン)大統領に勲章を授与するほど友好的だった。

しかし1959年1月にフィデル・カストロとチェ・ゲバラが共産革命に成功し、交流が断絶した。特に1960年8月にキューバが北朝鮮と修交し、キューバは中国・ロシアに次ぐ北朝鮮の3大海外外交戦略拠点の役割をしてきた。北朝鮮は「反米社会主義」という共通点を強調し、米国に対抗して戦った「兄弟国」キューバに10万丁のAK小銃を無償で供与したりした。カストロは「この銃で社会主義革命を守る」と叫んだが、東欧社会主義の崩壊とソ連の解体を経て国際政治の荒波に巻きこまれた。

2005年にKOTRA(大韓貿易投資振興公社)ハバナ貿易館開設をきっかけに韓国-キューバ関係に突破口が開かれた。韓国製品がキューバに流れ、K-POPなど韓流が熱情的なキューバ人の呼応を得た。2015年7月に米国とキューバが修交し、2016年3月にオバマ大統領がハバナを訪問すると、韓国にも修交の機会が訪れた。

2016年6月、当時の尹炳世(ユン・ビョンセ)外交部長官が韓国外交長官では初めてキューバを訪れ、2018年5月には当時の康京和(カン・ギョンファ)外交部長官が訪問し、修交の雰囲気が形成されるようだった。しかし2019年のトランプ政権の経済制裁と2021年1月のテロ支援国再指定で関係が急激に冷え込んだ。


【コラム】キューバに意表を突かれた北朝鮮の「2国家」主張(2)

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