演劇『ゴドーを待ちながら』で俳優のシン・グとパク・グニョンが熱演している。[写真 パークカンパニー]
演劇は2人の年老いた男が「ゴドー(Godot)」という未知の人物を待っているが、彼はいつも「明日来る」という言葉だけを伝え聞くだけで、ゴドーを待つ日が続くという内容だ。作家サミュエル・ベケットは自身の実体験を基にこの戯曲を書いた。ベケットは第2次世界大戦の時、ナチスドイツに占領されたフランスで地下抵抗団体の一員として活動し、団体が発覚したためまだ占領されていない地域の人里離れた田舎に避難した。そこで終戦を当てもなく待ちながら、他の避難民と不真面目な雑談をすることで時間を潰していたという。
◇時空間を超える「ゴドー」の意味
それでもゴドーが終戦とナチス崩壊を意味しているわけではない。この作品は終戦後に発表され、ベケットは人間の普遍的な物語を書こうと思った。それならゴドーは一体誰なのか。この劇を初めて「不条理劇」と呼んだ英国の演出家エスリンはこのような話をした。1960年代ポーランドの観客はゴドーがソ連からの解放だと考え、アルジェリアの農夫はゴドーが絵に空念仏になった土地改革だと考えたと。このように時空間を超えて各自が直面した現実に代入することができる点が『ゴドーを待ちながら』の魅力だ。
では105年前この時期、この土地の人々が待ち望んでいたゴドーは何だったのだろうか。どのような「ゴドー」のために数多くの人々が全国的組織や指導者もなく、いまどきの通信ネットワークもなく、同時多発的に「大韓独立万歳」を叫び、通りに飛び出すことになったのだろうか。クォン・ボドレ教授の『3月1日の夜』(2019)によると、当時日帝の統計にも三一独立運動参加者数が60万~100万人で朝鮮人口の3.7~6.2%に達した。「1910年代は世界的に革命の連帯だったが、三一運動ほど自発的であると同時に全国的な蜂起の様相はなかなか目にするのは難しい」とクォン教授は述べる。
クォン教授も最初は三一運動を尊敬しなくてはならないが「やや食傷ぎみの対象」と考えた。あるとき当時の新聞調書を偶然読んで、その「美醜の見分けがつかない」新鮮で立体的な姿に衝撃を受けた。調書に登場する人の中には独立が何を意味するのか分からなかったとしてだから何だと声を荒げる人もいたし、もう独立したのだと思って万歳を叫んだという人も多く、万歳を叫べばあとで要職がもらえると思っていた人もいた。「そうかと思うとその場でその人々が指を切って血を出して独立万歳旗を作り(…)銃で撃たれて横の人が死んだのに翌日また憲兵駐在所に向かって行進して行った」。その後、さまざまな資料を漁って三一運動のさまざまな一面を、教科書に出てくるような「抗日民族運動」を超えた立体的モザイクとして構成した本が『3月1日の夜』だ。この本によると、人々は非常に多様な動機と目的を持って三一運動に参加した。
【コラム】三一運動参加者が待ち焦がれていた「ゴドー」は何だったのか(2)
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