「中国は北朝鮮と米国が融通性を示し、6カ国協議再開のための有利な方式を選ぶよう望む」
2006年8月4日、当時中国外交部報道官だった劉建超氏が訪韓して韓国記者団との懇談会で語った言葉だ。劉氏はこの時、外交通商部(現外交部)の招待でソウルを訪問した。約18年が経過した現在、6カ国協議は北朝鮮の表現を借りれば「死んだ」状態であり、山川も変化した。劉氏の状況は一変した。正確に言えば、地位がさらに高くなった。米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の24日(現地時間)の報道によると、彼は次期中国外交部長に事実上ほぼ決まったという。外交部の顔であり習近平首席の外交腹心として韓半島(朝鮮半島)情勢と展望にも大きな影響を及ぼすキープレーヤーになる。
WSJ記事の要旨は「習主席の反腐敗キャンペーンを率先した人物が中国の外交部長になる準備を終えた」ということだ。劉氏の現在の名刺には中国共産党対外部長という肩書が書かれているが、最近彼の最も重要な任務は共産党の自浄機構、国家予防腐敗局の副局長だった。習主席の権力固めにおいて重要な段階であり道具だった腐敗清算の先鋒に立っていた。WSJは「習主席の腐敗清算は『キツネ狩り』と呼ばれた」とし「劉建超はその核心人物だった」と解説した。
中国では海外に逃避した腐敗事犯を検挙して送還することを「キツネ狩り作戦」、または「空の網」という意味の「天網」と呼んでいる。この他にも前・現職高位官僚が腐敗疑惑で失脚するのは「トラ退治」、下位職が腐敗疑惑で失脚するのは「ハエ叩き」と呼ぶ。習主席執権序盤にこのような「狩り作戦」が多かったことを巡り、権力掌握のための道具という批判も海外メディアを中心に出た。劉氏はこの中でも海外事犯検挙である「キツネ狩り」で主軸を担当した。
習主席は昨年夏、秦剛当時外交部長の後任を物色しながら苦悶に陥ったとWSJは伝えた。習主席の長年の外交腹心、王毅共産党政治局委員以外にこの職にぴったりの新しい人材が見えなかったためだ。その中で推薦人物リストから劉建超の名前を見つけて、彼を指名することにしたとWSJは伝えた。
問題は劉氏の対米外交経験が豊富ではないということだ。揺れ動く米中関係の中で、習主席としては米国を相手にする外交部長選びがどうしても重要になる。WSJは「習主席はこのため王毅をひとまず外交部長に再び任命して、その間に劉建超が対米外交経験を積むことができるように措置を取った」と報じた。米国外交の顔であるブリンケン国務長官が12日、ワシントンDCで向かい合った人物は劉氏だったが、それにはこのような背景があった。
2人の出会いは米中関係の主要変数だった台湾総統選挙の直前だった。米国外交を現在代表しているブリンケン氏と、間もなく代表する劉氏が向かい合って座り、互いの意中を探り合う、一種の挨拶の席だった。劉氏はブリンケン氏だけでなく私募ファンドであるブラックストンのスティーブン・シュワルツマン最高経営責任者(CEO)ら、米国の政治と経済を代表する人々に広く会った。ブラックストンは対中投資に積極的なことで有名だ。
劉氏は中国吉林省徳恵で生まれ、北京外国語学院英語学科を卒業した後、86年に外交部に入部した。その後、要職である外交部報道官を経て、駐フィリピンおよび駐インドネシア大使、部長助理(次官補)などを歴任した。英国オックスフォード大学で国際関係学を勉強したという記録も出てくる。外交部入部前には英語翻訳家として活動していたこともある。そのような劉氏が米国大統領選挙などを控えて重要な時期に中国外交の顔になる。
習主席は劉氏をいつ任命するだろうか。WSJなど複数のメディアの報道を総合すると、3月に予定された中国の主要政治行事、両会(全国人民代表大会と中国人民政治協商会議)が契機になるとみられる。WSJは「劉建超の外交部長任命関連の事実を確認してほしいと中国政府に要請したが、回答を聞くことができなかった」と伝えた。「ノーコメント」だったという意味だ。否定しなかった点で、「イエス」である可能性が高い。
2006年8月4日、当時中国外交部報道官だった劉建超氏が訪韓して韓国記者団との懇談会で語った言葉だ。劉氏はこの時、外交通商部(現外交部)の招待でソウルを訪問した。約18年が経過した現在、6カ国協議は北朝鮮の表現を借りれば「死んだ」状態であり、山川も変化した。劉氏の状況は一変した。正確に言えば、地位がさらに高くなった。米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の24日(現地時間)の報道によると、彼は次期中国外交部長に事実上ほぼ決まったという。外交部の顔であり習近平首席の外交腹心として韓半島(朝鮮半島)情勢と展望にも大きな影響を及ぼすキープレーヤーになる。
WSJ記事の要旨は「習主席の反腐敗キャンペーンを率先した人物が中国の外交部長になる準備を終えた」ということだ。劉氏の現在の名刺には中国共産党対外部長という肩書が書かれているが、最近彼の最も重要な任務は共産党の自浄機構、国家予防腐敗局の副局長だった。習主席の権力固めにおいて重要な段階であり道具だった腐敗清算の先鋒に立っていた。WSJは「習主席の腐敗清算は『キツネ狩り』と呼ばれた」とし「劉建超はその核心人物だった」と解説した。
中国では海外に逃避した腐敗事犯を検挙して送還することを「キツネ狩り作戦」、または「空の網」という意味の「天網」と呼んでいる。この他にも前・現職高位官僚が腐敗疑惑で失脚するのは「トラ退治」、下位職が腐敗疑惑で失脚するのは「ハエ叩き」と呼ぶ。習主席執権序盤にこのような「狩り作戦」が多かったことを巡り、権力掌握のための道具という批判も海外メディアを中心に出た。劉氏はこの中でも海外事犯検挙である「キツネ狩り」で主軸を担当した。
習主席は昨年夏、秦剛当時外交部長の後任を物色しながら苦悶に陥ったとWSJは伝えた。習主席の長年の外交腹心、王毅共産党政治局委員以外にこの職にぴったりの新しい人材が見えなかったためだ。その中で推薦人物リストから劉建超の名前を見つけて、彼を指名することにしたとWSJは伝えた。
問題は劉氏の対米外交経験が豊富ではないということだ。揺れ動く米中関係の中で、習主席としては米国を相手にする外交部長選びがどうしても重要になる。WSJは「習主席はこのため王毅をひとまず外交部長に再び任命して、その間に劉建超が対米外交経験を積むことができるように措置を取った」と報じた。米国外交の顔であるブリンケン国務長官が12日、ワシントンDCで向かい合った人物は劉氏だったが、それにはこのような背景があった。
2人の出会いは米中関係の主要変数だった台湾総統選挙の直前だった。米国外交を現在代表しているブリンケン氏と、間もなく代表する劉氏が向かい合って座り、互いの意中を探り合う、一種の挨拶の席だった。劉氏はブリンケン氏だけでなく私募ファンドであるブラックストンのスティーブン・シュワルツマン最高経営責任者(CEO)ら、米国の政治と経済を代表する人々に広く会った。ブラックストンは対中投資に積極的なことで有名だ。
劉氏は中国吉林省徳恵で生まれ、北京外国語学院英語学科を卒業した後、86年に外交部に入部した。その後、要職である外交部報道官を経て、駐フィリピンおよび駐インドネシア大使、部長助理(次官補)などを歴任した。英国オックスフォード大学で国際関係学を勉強したという記録も出てくる。外交部入部前には英語翻訳家として活動していたこともある。そのような劉氏が米国大統領選挙などを控えて重要な時期に中国外交の顔になる。
習主席は劉氏をいつ任命するだろうか。WSJなど複数のメディアの報道を総合すると、3月に予定された中国の主要政治行事、両会(全国人民代表大会と中国人民政治協商会議)が契機になるとみられる。WSJは「劉建超の外交部長任命関連の事実を確認してほしいと中国政府に要請したが、回答を聞くことができなかった」と伝えた。「ノーコメント」だったという意味だ。否定しなかった点で、「イエス」である可能性が高い。
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