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「関東大震災の朝鮮人虐殺を裏付ける旧日本軍の記録発見」

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

関東大震災当時の朝鮮人虐殺を記録した陸軍の報告書 [出処 在日韓人歴史資料館]

100年前の関東大震災当時の朝鮮人虐殺を記録した旧日本軍の文書が新たに発見された。毎日新聞は14日、日本防衛省史料室に保管されていた大震災当時の旧日本軍地域司令部の報告書から虐殺関連の記録が見つかったと報じた。日本政府はその間、朝鮮人虐殺について「事実関係を把握できる記録が見当たらない」という立場を繰り返してきた。

同紙によると、この記録は1923年11月に日本陸軍省が行った実態調査の一部で、埼玉県熊谷連帯区司令部が作成した「関東地方震災関係業務詳報」に記述されている。熊谷連帯区司令部は徴兵と在郷軍人業務を担当する一種の地域司令部だ。

この報告書は表紙を含めて計102ページ分量で、朝日新聞記者出身のジャーナリスト渡辺延志さんが発見した。この記録は日本国立公文書館アジア歴史資料センターのホームページでも確認できる。


◆移送中だった朝鮮人40人の虐殺記録

この記録は大震災発生(1923年9月1日)から3日後の9月4日の惨状を伝えている。これによると、日本の警察は朝鮮人約200人を保護し、自動車で移送しようとした。このうち昼に移送できなかった約40人が夜に「殺気立てる群衆」に悉く殺害された。

文書は震災発生から2カ月後の11月2日、すべての部隊に活動内容を報告させる陸軍省の指示に基づいて作成された。当初の報告期限は同月25日までだったが、熊谷司令部は期限を守れず同年12月15日に提出した。

熊谷司令部側はこの記録に「参考所見」として、保護した朝鮮人の移送は「夜暗を避くるを要す」とし、夜間にずれこむと「悉く暗所において殺さるる惨状をみる」と記述したと、同紙は伝えた。また、この報告書が当時の状況を「鮮人(朝鮮人)虐殺」「不法行為」と表現したという説明も加えた。

報告書には、当時のデマを否認するように「鮮人の襲来は遂に一名も来なかった。火付けもなかった。毒を(井戸に)投げ込まれた事も聞かない」と記述されていた。

この記録には朝鮮人に対する襲撃を防いだり、朝鮮人と誤認されて危険な目にあった日本人を保護したという内容もある。「業務遂行上特に功績ありたる者の氏名及事績」項目に、在郷軍人として襲撃を防いだ者の名前と行動が記録されている。

報告書によると、熊谷在郷軍人会支部長は大震災直後に自重を呼びかけ、デマに踊る者たちを「事理を解せざる蒙昧の徒」と非難したという。同紙は「震災直後の在郷軍人会が、朝鮮人暴動のうわさはデマなので軽挙妄動するなと呼びかけていたことも分かる」と説明した。

◆日本政府「事実関係把握する記録ない」

日本政府は関東大震災当時の朝鮮人虐殺について公式的に認めていない。今年8月、関東大震災100年を控えて政府の立場を尋ねる質問に対し、松野博一官房長官は「政府内に事実関係を把握できる記録が見当たらない」と答えた。

岸田文雄首相も11月の参議院予算委員会で、朝鮮人虐殺関連文書が外務省に残っているのかという野党議員の質問に「特定の民族や国籍の方々を排斥する不当な差別的言動は許されない」とだけ答えた。

この記録を見つけた渡辺延志さんは記録物の解説を在日韓国人歴史資料館のホームページにも載せた。渡辺さんは同紙に「日本人はなぜ、どのように朝鮮人虐殺に走ったのか、従来の見解では100年が過ぎても説明できない」とし「視点を海外および戦後の歴史と結びつけて資料に基づき全貌を解明する必要がある」と主張した。



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