2003年11月30日、金浦~羽田便が再就航した。[中央フォト]
その後旧国際線第1ターミナルは国内線ターミナルに変わり、旧国際線第2ターミナルには映画館と結婚式場、商店街などが入った。旧国内線ターミナルは大型ショッピングモールに変わった。過去のきらびやかな国際空港の姿は大きく色あせ、海外旅行の代わりにショッピングや外食のために訪れる場所になった。
◇日本も羽田空港活用の必要性
2003年に金浦空港としては絶好の機会が訪れた。金浦空港と東京の羽田空港を結ぶ「ビジネスシャトル」を開設しようという議論だった。金浦空港は市内から12キロメートル、羽田空港も16キロメートルしか離れておらず、仁川空港~成田空港便を利用するより移動時間を1時間30分ほど減らすことができ、ビジネス目的に役立つという理由だった。
この路線はその前から韓日会談で議論が始まっていたが日本側が消極的な姿勢を見せたため進展がなかった。ところが同年5月に日本側が姿勢を変え両空港の活用案に関心を表明したという。日本は東京の別の玄関口である成田空港を育てたかったが、市民団体の反対と滑走路問題などで難しかった。このため羽田空港も併せて活用しなければならない必要性が生まれたという。
中央日報の2003年5月3日付6面の報道でこうした事実が伝えられ、航空・観光業界の関心が傾いたが今度は韓国の航空当局が難色を示した。当時建設交通部(現国土交通部)の高位関係者は「仁川空港開港からいくらもたっていない状況で金浦空港に国際線を再び乗り入れさせれば仁川空港のハブ空港化戦略に悪影響を与えかねない」と懸念した。
◇午後11時~午前6時は飛行禁止
こじれそうだった問題はその翌月に開かれた当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と小泉純一郎首相の首脳会談で解けた。金浦空港と羽田空港を結ぶるシャトル便運航に原則的に合意したのだ。その後議論が進展し同年11月30日、ついに金浦~羽田便に両国の航空会社が1日4往復の運航を始めた。時は流れすでに路線を開設して20周年を迎えた。
その間に金浦空港の国際線も日本、中国、台湾の3カ国7路線に増えた。日本は羽田空港と関西空港、中国は上海・虹橋空港、北京・首都空港、北京・大興空港、台湾は台北・松山空港と高雄空港に就航する。国際線旅客輸送実績も2018年には430万人に迫った。
【コラム】羽田路線20周年迎えた金浦空港…「ビジネス・観光」に特化しなくては(2)
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