2013年の出版当時からさまざまな意味で注目を浴びた『帝国の慰安婦』は、いまでは完全版を読むことはできない。出版の10カ月後から訴訟に巻き込まれた本は、裁判所の仮処分決定で2015年からは34カ所が削除されて出版された。34カ所はすべて検察の公訴状にも含まれた。それは2017年1月には「一部は事実の摘示や名誉毀損ではないもの」だったが(1審)、同年10月には「一部は事実の摘示で名誉毀損罪に該当するもの」となり(2審)、結局は「すべて学問的主張ないし意見の表明」であると整理された(3審)。先月26日、韓国大法院(最高裁)はこの本を「韓日対立問題解決に向けた研究の延長線上で出た学問的表現物」とした。6年ぶりに無罪を受けた翌日、世宗(セジョン)大学の朴裕河(パク・ユハ)名誉教授とオンラインで会った。
――事実の摘示か意見表明かをめぐり3度の裁判で10人の判事の間で意見が分かれた。
「大法院のように全部意見とみたことも納得できる。判決文序盤に歴史学に対する話があったが、歴史というものは真実に近い技術だが過去に残した資料の片鱗を見て学者が構成するものだ。そうした点で歴史の技術も小説のプロットと違わない。新しい資料が出てくれば以前の資料を間違ったと考えることができる点で学問は基本的に『意見』とみるのが正しいと考える」
――『帝国の慰安婦』はどうして書くことになったのか。
「本が出た2013年は慰安婦問題運動が始まって20年余りになった時だ。いまもそうだが慰安婦問題をめぐり支援しようという側と批判する側の声が両極端に突き進んだが、双方ともおばあさんの真の人生や考えを覗いてみようとせず、双方の論理とも問題があった。これに対し双方をともに批判した本が『帝国の慰安婦』だ。国の体面あるいは国がこれまで維持してきた立場を維持するためにおばあさんが利用または動員されていると考えた。初期におばあさんを見た立場で、おばあさん側に立って書いた本だ」
――なぜ訴訟まで続いたと考えるか。
「本が出た直後の反応は悪くなく、むしろ期待以上に良かった。告発されたのは10カ月後だが、おばあさんに会って話を聞こうとしたためだ。本が出た後おばあさんの考えを尋ねようとした人がおらず、それを聞きに行き、ナムヌの家の処遇に対する不満と挺身隊問題対策協議会代表らに対する批判、こうした話まで私が聞いてしまった。『挺隊協を外して補償をくれ』『日本を許したいが話すことができない』と話す人もいた。そんな話を集めて『慰安婦問題、第3の声』というシンポジウム(2014年5月)を開き韓日のメディアから注目を浴びた。そして1カ月後に告発された」
――慰安婦問題運動の「隠された目的」があったことを後に知ることになったとSNSに書いたが。
「慰安婦問題運動も30年を超えほとんど歴史化された。その運動の歴史と背景に照らしてそれなりに根拠がある話だ。この数年間の強制徴用・慰安婦関連判決を見てみたところ、1965年の韓日請求権協定をどのように解釈するのかがとても重要なポイントだった。1965年の協定は公式に植民地賠償を受けたのではない。今後もし北朝鮮と日本が修交することになれば韓国が公式に受けられなかった賠償を北朝鮮が受けられるようにしようという考えが存在した。そのためには植民支配が『違法』でなければならず、その中でなされたことが『強制』にならなければならない。もちろんそれだけが目的という話ではなく、こうした形の政治的構造も背景にあるということを一歩遅れて知ることになった」
――本1冊で10年近く訴訟により苦労したが、再び当時に戻ってもその本を書くだろうか。
「(しばらく悩んで)書くだろう。私は韓国を離れる考えがない人として社会がもう少し良くなるよう願ってそうした意味で書いた本だ。私の関心は『韓日関係』にだけ限定されたものでなく『人間の葛藤』全般だ。両極端が対立して発生する分裂と葛藤、声が大きい人たちの問題を指摘し続けなければならないと考える。韓国社会がもう少し安定的に、分裂に揺れずに接点を見いだし、人々の考えがすべて同じであることはないが接点を見いだしてもう少し合理的ながらも倫理的に考える人たちがもっと多くなったら良いだろう」。
――事実の摘示か意見表明かをめぐり3度の裁判で10人の判事の間で意見が分かれた。
「大法院のように全部意見とみたことも納得できる。判決文序盤に歴史学に対する話があったが、歴史というものは真実に近い技術だが過去に残した資料の片鱗を見て学者が構成するものだ。そうした点で歴史の技術も小説のプロットと違わない。新しい資料が出てくれば以前の資料を間違ったと考えることができる点で学問は基本的に『意見』とみるのが正しいと考える」
――『帝国の慰安婦』はどうして書くことになったのか。
「本が出た2013年は慰安婦問題運動が始まって20年余りになった時だ。いまもそうだが慰安婦問題をめぐり支援しようという側と批判する側の声が両極端に突き進んだが、双方ともおばあさんの真の人生や考えを覗いてみようとせず、双方の論理とも問題があった。これに対し双方をともに批判した本が『帝国の慰安婦』だ。国の体面あるいは国がこれまで維持してきた立場を維持するためにおばあさんが利用または動員されていると考えた。初期におばあさんを見た立場で、おばあさん側に立って書いた本だ」
――なぜ訴訟まで続いたと考えるか。
「本が出た直後の反応は悪くなく、むしろ期待以上に良かった。告発されたのは10カ月後だが、おばあさんに会って話を聞こうとしたためだ。本が出た後おばあさんの考えを尋ねようとした人がおらず、それを聞きに行き、ナムヌの家の処遇に対する不満と挺身隊問題対策協議会代表らに対する批判、こうした話まで私が聞いてしまった。『挺隊協を外して補償をくれ』『日本を許したいが話すことができない』と話す人もいた。そんな話を集めて『慰安婦問題、第3の声』というシンポジウム(2014年5月)を開き韓日のメディアから注目を浴びた。そして1カ月後に告発された」
――慰安婦問題運動の「隠された目的」があったことを後に知ることになったとSNSに書いたが。
「慰安婦問題運動も30年を超えほとんど歴史化された。その運動の歴史と背景に照らしてそれなりに根拠がある話だ。この数年間の強制徴用・慰安婦関連判決を見てみたところ、1965年の韓日請求権協定をどのように解釈するのかがとても重要なポイントだった。1965年の協定は公式に植民地賠償を受けたのではない。今後もし北朝鮮と日本が修交することになれば韓国が公式に受けられなかった賠償を北朝鮮が受けられるようにしようという考えが存在した。そのためには植民支配が『違法』でなければならず、その中でなされたことが『強制』にならなければならない。もちろんそれだけが目的という話ではなく、こうした形の政治的構造も背景にあるということを一歩遅れて知ることになった」
――本1冊で10年近く訴訟により苦労したが、再び当時に戻ってもその本を書くだろうか。
「(しばらく悩んで)書くだろう。私は韓国を離れる考えがない人として社会がもう少し良くなるよう願ってそうした意味で書いた本だ。私の関心は『韓日関係』にだけ限定されたものでなく『人間の葛藤』全般だ。両極端が対立して発生する分裂と葛藤、声が大きい人たちの問題を指摘し続けなければならないと考える。韓国社会がもう少し安定的に、分裂に揺れずに接点を見いだし、人々の考えがすべて同じであることはないが接点を見いだしてもう少し合理的ながらも倫理的に考える人たちがもっと多くなったら良いだろう」。
この記事を読んで…