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【コラム】ハマスとイスラエルの戦争で試験台に上がった自由主義陣営(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
1948年に米国の国際政治学の大家であるハンス・モーゲンソーは国際政治を権力追求に向けた国同士の闘争だと定義した。いま私たちが目撃している米中競争も、ロシアのウクライナ侵攻や数日前に起きたハマスとイスラエルの戦争の本質も権力闘争ということだ。

ところがその権力は空白を徹底的に嫌う。国際舞台で、ある特定大国の力が弱まり権力の空白が生じればその空白を埋めるための激しい競争が始まり、その過程で数多くの罪のない人たちが犠牲になった。それが国際政治の歴史だった。

例えば1991年にソ連が崩壊すると東欧圏に力の空白が生じた。そうした空白状態をいち早く感知して活用し円熟した外交で平和的な統一を成し遂げたのが西ドイツだった。しかしそうした希望的なケースより悲劇的状況がさらに多く起きた。冷戦が終わると東欧圏に対する旧ソ連の影響力と支援も消えた。するとこれまで静まっていたユーゴスラビア内部の民族紛争が噴出した。結局クロアチア、ボスニア、セルビアなどで凄惨な内戦が起きてユーゴ連邦は解体された。


イラク戦争は米国が権力の最高峰から相対的下降を始めさせた分岐点だった。軍事作戦は短期に終わったが10年以上にわたる内戦に巻き込まれた米国の国力と対外的地位は急落した。戦争の後遺症に苦しめられたオバマ政権の外交は萎縮し始めた。2011年には軍事戦略と外交力の焦点を中東地域からアジアにシフトするという「アジアへの回帰」を発表した。そして時には介入が必要なタイミングでも行動しなかった。

例えば2012年8月にシリアのアサド独裁政権に対し反乱軍に化学兵器を使えば相応の措置を取ると警告した。しかし1年後にシリア政府が実際に化学兵器を使ったことが明らかになったのに何の措置も取らなかった。ロシアの目で見るとこれは米国の弱体化で、力の空白が生じたことを意味した。その直後ロシアはシリア情勢に積極的に介入し、アサド政権を支援して中東で自国の影響力を拡大した。

2021年に混乱の中で展開した米軍のアフガニスタン撤収は世界全域に弱くなった米国のイメージを投影した。6カ月後にロシアのプーチン大統領がウクライナを攻撃したのは多くの誤判断の結果だったが、そのうち少なくない部分は米国が積極的に介入しないだろうという期待だっただろう。

米国の権力の相対的弱体化状況でトランプ前大統領は孤立主義外交を展開し反中国、反移民、反世界化に進んで行った。そして同盟外交も疎かにした。しかしバイデン大統領は数十カ国との同盟が米国の最大の強みである点に着眼した。そしてこれらと連合して共同戦線を広げ国際政治で米国の指導力と影響力を維持していこうとしている。クアッド、AUKUS、韓日米協力、NATOとインド太平洋連係などの多様なネットワーク強化を急いだ。その結果米国の指導力も次第に回復した。


【コラム】ハマスとイスラエルの戦争で試験台に上がった自由主義陣営(2)

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