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<ヒョンデ研究>時速100キロでアウディをぶつけた、ジェネシスの命運かけた「ショッキング広告」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

ジェネシスのシートを開発する京畿道華城の現代トランシス試験棟。シート検証室のキム・ドンギ室長は「試験基準は45デシベル(一般的な事務室騒音)以下だが、ジェネシスのシートは基準を高めて評価する」と紹介した。ウ・サンジョ記者

「ジェネシスのシートは内部モーターの音から違います。『キーン』と言いながら上がってくる高くて強い特有の騒音を最大限減らし、低く立ち込める重いトーンに変えるのです」。

7月11日に京畿道華城市(キョンギド・ファソンシ)の現代トランシス本社で会った同社シート本部のソ・スンウ本部長はこのように「サウンド」を強調した。現代トランシスでは現代自動車グループのプレミアムブランドであるジェネシスのセダンと「グレンジャー」「K9」など高級モデルに使われるシートを開発・製作している。

◇エンジンの次に高い…シートは「3つの結晶体」


自動車シート技術は一言で表現すると「三位一体」だ。すなわち美しく安らかで安全でなければならない。それぞれ異なる3種類の要素を同時に充足しなければならず、また適切な調和を作り出さなければならない。シートが高価な理由だ。内燃機関の自動車の場合、シートはエンジンの次に高い部品だ。

それだけ開発も難しい。この日現代トランシスの試験棟では未発表の新車に搭載されるシートのテストの最中だった。温度をマイナス40度からプラス80度を行き来する冬と夏の極限気候条件を作りだし、シートをねじって揺さぶる過程で出る騒音を測定中だった。同社シート先行研究室のイ・インホ室長は「シートは開発過程で国内外の法規に合わせた150以上の試験を通過してこそ量産できる」と話した。

その中でもジェネシスはさらに特別だ。シート検証室のキム・ドンギ室長は「試験を通過する基準は一般的なオフィスの騒音水準の45デシベル以下だが、ジェネシスのシートは基準をより高めて評価する」と紹介した。ジェネシス最上位モデルである「G90」の場合、シートに使われるモーター数だけで43個あり一般的なセダンの3~4倍に達する。

◇「シートはフラッグシップモデルの始まりと終わり」

なぜこのようにシートに「執着」するのだろうか。ジェネシスのようなフラッグシップモデルはシートが始まりであり終わりであるためだ。現代トランシスはシート内部の7つのエアクッションが走行モード別に最適な姿勢を維持するシートエルゴモーションシステムを世界で初めて開発しジェネシスに初めて搭載した。先月発売した起亜の大型電気スポーツ多目的車(SUV)の「EV9」の運転席にもこのシステムが搭載された。ソ・スンウ本部長とシート設計室のコ・ミョンヒ室長の説明だ。

「二酸化炭素を減らし持続可能な素材を使ったシート技術を続けて出しています。マッサージをしたりヘッドレストから気持ちを安定させる音楽を流すものも登場しました。一方で高級素材はそれそのものもさらに厳格になっています。ジェネシスのシートに使う革は『蚊が刺した跡』でもあれば排除するほど厳しく選んでいます」。

こうした技術投資と限りない実直さのおかげだろうか。ジェネシスの疾走が続いている。世界累積販売台数が近く100万台を超えるのはほぼ確実だ。5月基準でジェネシスの世界累積販売台数は94万6046台だった。2021年から毎年20万台以上を売り、すでに日産のインフィニティ、ホンダのアキュラ、ジャガーなどを上回っており善戦している。

1967年の創立から48年間「現代」の単一ブランドで成長したヒョンデは、2015年にジェネシスブランドを「独立」させた。2008年にヒョンデ内部ブランドから始まったジェネシスが高級車市場に進出し新たな第2幕を開いたのだ。

◇悩みの始まりは1989年の「レクサスショック」直後

だがその始まりは全く順調でなかった。ヒョンデがプレミアムブランドを夢見始めた時期は1989年ごろだ。李忠九(イ・チュング)元ヒョンデ社長はこのように記憶する。

「1989年に米シカゴモーターショーでレクサスを初めて見た時大きな衝撃を受けました。レクサスが何かと尋ねると『トヨタで新たに立ち上げたラグジュアリーブランド』というのです。韓国に帰ってきてすぐにレクサスを持ってこようと海外駐在員を総動員したものの発売初期で確保することはできませんでした。3~4カ月過ぎてようやく1台を確保して南陽研究所に持ってきました。初めてエンジンをかけたらエンジンが回転しているのがわからないほど静かでした。もっと大きな衝撃でした。ドイツ車は『機械が動く音を出すのは当然だ』というものだったのにその公式を破ったからです。この時、社内で『われわれもラグジュアリーブランドを作らなければならない』という声が出てきましたが、市場の状況や条件はそのようには流れなかったのです」。

ヒョンデがその後ラグジュアリーブランドの立ち上げをより真摯に考え始めたのは1999年の起亜自動車買収と2000年の現代グループ系列からの分離後だ。現代自動車グループの鄭夢九(チョン・モング)名誉会長はラグジュアリーブランドとデザインに対し大きな関心を見せた。元現代自動車グループ重役は中央日報とのインタビューで当時をこのように回想した。

「起亜買収のころにドイツのフランクフルトモーターショーに行きました。鄭夢九会長がフェラーリの展示館を通り過ぎながら『われわれはなぜこのように美しく作れないのか』と不満を示しました。ひとまず『オーバーハング問題』から解決しなければならないと答えました。ヒョンデはオーバーハング(車軸から車端までの長さ)が長く、走ってみると車が地面をこすります。これは致命的です。BMWは(オーバーハングが)われわれの3分の1しかないです。(技術提携関係にあった)三菱自動車がそうしているからわれわれもそうしていたのです」。

◇鄭夢九「われわれはなぜこのように作れないのか」

ここに自国市場を差し出すことになりかねない危機が迫りヒョンデはこれまでやっていなかったラグジュアリーブランドの開発にさらに具体的にアプローチすることになる。1988年の輸入車市場全面開放後に海外自動車ブランドが韓国市場進出にスピードを出してだ。特に2000年代初めからBMWとベンツなど欧州車の「空襲」が始まった。プレミアム自動車の開発はヒョンデが輸入ブランドと競って自国市場を守る武器でもあった。

ジェネシスプロジェクトはこうして誕生した。鄭夢九名誉会長も進んだことのない道を突き進むことでまた別の世界が開かれるという事実をだれよりよくわかっていた。

◇プロジェクト名「BH」…ベンツハンターという皮肉も

ヒョンデは2003年に「プロジェクトBH」を始動した。この時だけでも自動車業界には「BH」を低評価し、「ヒョンデが『ベンツハンター』組織を作った」という笑い話が出回った。BHは後にジェネシス第1世代のモデル名の一部として生き残った。ヒョンデは4年間に開発費として5000億ウォンを投じた。

製品開発プロセスも変えた。ヒョンデで初めて別途の専従開発チームを構成し、設計時からデザイナーが参加した。プロジェクトマネジャーと製品企画、設計、試験など各分野で15年以上のキャリアを持つ研究陣数十人が開発に参加した。当初からジェネシスならではのDNAを備えるように誘導したのだ。

三菱自動車と共同開発して発売した第1・第2世代「グレンジャー」と、これをベースにした「ダイナスティー」、第1世代「エクウス」とはアプローチ方式が違った。むしろ最初から最後まで独自開発に成功したグレンジャーXGがベンチマークモデルだった。

◇アウディA8と衝突…ショッキングな破格テレビ広告

ジェネシスというブランド名とエンブレムはソウル本社の鄭夢九名誉会長の部屋で会議を開いて決めた。李炯根(イ・ヒョングン)元起亜副会長はこのように記憶する。


<ヒョンデ研究>時速100キロでアウディをぶつけた、ジェネシスの命運かけた「ショッキング広告」(2)

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