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元囚人でプーチンの料理人で反逆者…死亡したプリゴジン氏の反乱万丈な人生

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

プリゴジン氏

囚人、料理人、飲食店事業家、民間軍事会社トップ、ロシア財閥。いずれも24日の専用機墜落事故で死亡したプリゴジン氏を説明できる単語だ。

62歳でプーチン大統領と同じサンクトペテルブルク出身だ。「プーチンの猟犬」「プーチンの料理人」と呼ばれたが、武装反乱を起こした「反逆者」でもあった。

死亡の原因はまだ不明だ。プリゴジン氏側はロシアの防空システムにより航空機が墜落したと発表した。西側ではプリゴジン氏の死の背景にどのような形であれプーチン氏がかかわったものと推定している。


1981年に強盗や詐欺などの犯罪で9年間服役した。1990年にソ連が崩壊する渦中で出所した彼はホットドッグ商売で元手を確保した後、ロシア各地に高級レストランを開いた。

プリゴジン氏はこの時、サンクトペテルブルクの下級官僚だったプーチン大統領をお客として迎え親密な関係となった。プーチン氏より8歳若い彼はこの縁を契機にロシア大統領府で開かれる各種夕食会と宴会を引き受けて「プーチンの料理人」と呼ばれた。プーチンは主要内外賓との食事をプリゴジン氏が運営するレストランで楽しんだ。この時、プリゴジン氏はそばに付いて面倒を見た。

プリゴジン氏が本格的にプーチン氏の信任を得始めたのは2014年に民間軍事会社ワグネルグループを創設してだ。

ワグネルグループはクリミア半島強制併合に向けた戦争と、シリア、リビア、スーダンなど世界各地の紛争にロシア軍の代わりに介入して勢力を拡大した。ワグネルグループは民間人虐殺など残虐行為で悪名が高かったが、プリゴジン氏はこれを否認した。プーチン氏は公式的な警察や軍隊がやるのは難しいことをワグネルグループを通じて処理することができた。

日陰で活動していたプリゴジン氏が世の中に登場したのはウクライナ戦争の真っ最中だった昨年9月だ。プリゴジン氏は当時声明を出し、ワグネルグループを創設した事実を初めて公式に認めた。プリゴジン氏とワグネルグループはウクライナ戦争の最大激戦地だったバフムトでロシアの攻撃を主導した。

西側関係者らはウクライナ戦争にワグネルグループの戦闘員5万人が投入され、このうちロシアの刑務所で募集した囚人が4万人に達すると推定する。プリゴジン氏の勢力と財産はロシアの新興財閥と呼ばれるほど成長した。

プリゴジン氏はソーシャルメディア(SNS)を通じてワグネルグループの活躍を誇示し、軍部の人々が無能で非協調的だと非難して軍首脳部との不和を引き起こした。

5月には軍首脳部を狙って「人間のクズ」「地獄で焼かれるだろう」などの暴言を浴びせたりもした。

これを鎮圧するためショイグ国防相は6月10日、すべての非正規軍に国防省と正式契約を締結するよう指示したが、むしろ対立を増幅させた格好になった。

再契約を拒否したプリゴジン氏はその後6月23日に武装反乱を起こしロシア本土へと進撃した。進撃当時ロシア国民の歓迎を受ける姿が見られたりもした。軍部に苦言を呈し、ウクライナとの戦争で少なくない成果を上げプリゴジン氏は戦争英雄と位置づけられたりもした。

プーチン大統領はプリゴジン氏のモスクワ進撃を反逆行為と規定し「厳しい対応をするだろう」と話した。

武装反乱はロシアがベラルーシのルカシェンコ大統領の仲裁を通じ、プリゴジン氏がベラルーシに撤収することを条件に彼と戦闘員らを処罰しないことで合意して36時間で一段落した。

プーチン大統領から身辺保障の約束を取り付けたプリゴジン氏は武装反乱5日後にプーチン氏と面談し、7月末にはロシア・アフリカ首脳会談が開かれたサンクトペテルブルクに姿を見せたりもした。

しかしプーチン氏が結局プリゴジン氏を除去するという見通しも少なくなかった。プーチン氏が政敵と裏切り者を除去しながら権力を強固に維持してきたためだ。

ロシア国営放送ロシア1は7月5日、警察特殊部隊がプリゴジン氏が所有する事業者のオフィスと自宅を急襲する場面を放映した後、プリゴジン氏に対する捜査が依然として進行中だと伝えた。

しかしプーチン氏と敵対する反対者らのうちの多くと同じようにプリゴジン氏もやはり捜査と裁判を通じて断罪される前に命を失うことになった。



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