慶尚南道陜川郡の陜川原爆資料館1階の原爆被害展示室に展示された広島と長崎に投下された原爆の様子。ソン・ボンギュン記者
--父親の思い出は。
「4男2女の長男だった父は結婚したばかりの21歳の時に徴用された。1年余り経ったとき、広島に原爆が落とされ、父が働いていた三菱重工業も一瞬で破壊された。命は助かったが、心身ともに傷ついた状態で帰ってきた。父は後遺症でいつも足を引きずっていたが、子どものころはその理由を知らなかった。子どもたちにも原爆の被害についてほとんど語らなかったが、部屋で静かに泣いているのをよく見た。記憶を思い出すだけでも辛かったのだろう。父と一緒にかろうじて故郷に戻った人たちも、みんな足を引きずるか、一生神経痛に悩まされた。私も原因不明の皮膚病と慢性的な身体能力低下に苦しんでいる」
-- 韓国人の慰霊碑参拝はどう評価するか。
「肯定的に評価する。この世を去った父が喜んでいるのではないかと思うと、私の心も少し楽になるような気がする。韓日間の交流が再開されて疎通が図れるようになったからこそ、このようなことが可能になったのではないかと思う」
-- 強制動員賠償訴訟はどうなっているか。
「2018年、新日鉄住金訴訟で大法院(最高裁)確定判決で被害者が勝訴した。しかし、父を含めた三菱広島製作所の被害者が提起した訴訟は2審まで勝訴したが、5年経っても最高裁判決が出ない。判決が出れば、補償なり解決なり受け入れるなりできるのに、それができないのでもどかしく思っている」
--もし勝訴した場合、日本企業のお金ではなく、韓国側の財団のお金で代位弁済をすることにした韓国政府の解決策を受け入れる考えか。
「以前は日本側からお金をもらい、謝罪も受けようという人が多かったが、徐々に考えが変わってきている。現実的に被害者2世も80歳近くになってきたので、謝罪や補償があっても、生きているうちに受けなければ意味がないのではないかと考える。だから、日本の真摯な謝罪さえあれば、韓国政府が補償してくれるお金は受け取ってもいいのではないかと思っている」
--岸田首相が訪韓して「心が痛む」と表現したのは謝罪と受け取れるか。
「尹大統領が韓国側による賠償を決定した後に日本の首相が来たので、今回だけはもっと踏み込んだ立場表明があるだろうと期待していたのは事実だ。しかし、『心が痛む』という言葉にとどまったのは期待に届かなかったので、残念な気持ちが残っている」
<原爆・徴用被害者の回想>3歳の時に被爆…78年ぶりに両首脳慰霊碑参拝に「恨」晴らす(1)
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