5月5日こどもの日、蚕室(チャムシル)ロッテワールドアドベンチャー(以下、ロッテワールド)に新しいアトラクションがお披露目された。人気オンラインゲーム「バトルグラウンド」をオフライン空間に移した「バトルグラウンド・ワールド・エージェント」だ。テーマパークの変化を見守るのはさまざまな面でおもしろい。韓国の遊園地文化がどのように変化しているのか、時代ごとに青春や子どもたちがどんなファンタジーに熱狂するのか断片的に読むことができるためだ。ロッテワールドに行ってきた。その間にまた多くのことが変わっていた。
◇小さな地球村からスリルの時代へ
1989年7月初めてオープンした時、ロッテワールドの様子は今とは違っていた。初期は「小さな地球村」というコンセプトを前面に出し、室内外空間を国別テーマでしつらえた。ロッテワールドはアトラクションを集めた単なる遊園地ではなく、テーマとストーリーがあるテーマパークだと強調した。
その時はそうだった。「テーマパーク」「アトラクション(遊具)」のような単語が国語辞典にもなかった時代で、海外旅行(1989年1月1日海外旅行全面自由化施行)もまだ馴染みがなかったときだ。ロッテワールドは欧州・南米などからダンサーを連れてきてパレードを行い、34カ所のレストランで世界各国の食を提供した。「スペインの海賊船」「ジュネーブクルーズ」のようにアトラクション一つにもエキゾチックな色彩が表われていた。ジェットコースターの名前がなぜ「フレンチレボリューション(フランス革命)」になったのか、今でも理解できないが、とにかく反応は爆発的だった。オープン初期の最高人気アトラクションだった「シンドバッドの冒険」は本でもないのに読書感想文大会まで開かれるほどだった。
「時速72キロの速度で瞬間急発進、高空急降下!」(2003年『アトゥランティス』広告コピー)。
1990年代後半から2000年序盤、ロッテワールドは大々的なリニューアルに入った。通貨危機と世紀末の雰囲気で世の中がカオス状態だったからか、大衆はさらなる刺激を望んだ。ロッテワールドは古いものを片づけて新たなアトラクションを次々と導入した。代表的な新概念アトラクションが1998年4月100億ウォン(約10億円)をかけて導入した「ジャイロドロップ」だ。長い説明は必要なく、70メートル上空まで急上昇し、2.5秒後に垂直落下するという新しい経験に大衆は熱狂した。その成功に力づけられて登場したのが今まで最高の人気アトラクションとして有名な「アトランティス」(2003年)と「ジャイロスイング」(2001)だ。ロッテワールドはこれで幻想と神秘、地球村の世界旅行を謳ったロマンの時代から「もっと高く」「もっと速く」「もっと刺激的に」を叫ぶスリルの時代へと突入した。
◇デジタル時代のテーマパーク
今はデジタルアトラクションの時代だ。グローバルテーマパークが興行映画の世界観を3D映像に呼び込んでリアルに近い体験で観客を魅了している。例えば香港ディズニーランドには「アイアンマン・エクスペリエンス」が、日本ユニバーサル・スタジオには「ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー」がある。
ロッテワールドもデジタル技術を組み合わせたアトラクションを相次いで出している。こどもの日に初公開された「バトルグラウンドワールド・エージェント」も同じだ。オンラインゲーム「バトルグラウンド」を720平方メートル(約220坪)規模の室内空間に移し、1人称視点の生存ゲームを最大16人がチームを組むシューティング・ゲームに変えたのが特徴だ。
アトラクションは3区域に分かれる。始まりは不時着する輸送機内部だ。飛行機がまるで墜落するかのように前後左右に大きく揺れる。飛行機が不時着し、次は戦闘タイムだ。「シューティングシアター」区域に移動して8メートル幅の大型スクリーンで出没する敵と市街戦を行う。最後の区域では3D眼鏡をかけて激しく動く戦闘車両(モーションシミュレーター)に乗って敵と追撃戦を行う。
仮想戦闘はリアリティにあふれ、仮想世界と現実世界を行き来する経験は興味深かった。オンラインゲームと同じデザインの軍事基地と車両(バギー)や銃器など原作ゲームのファンなら垂涎もののディテールも至るところに仕込まれている。
ロッテワールド開発部門のキム・ギョンボム部門長は「既存世代のテーマパークが『家族型』『スリル型』だとすると、今はさまざまなIP(知的所有権)を結合した五感満足型アトラクションの時代」と強調した。
◇小さな地球村からスリルの時代へ
1989年7月初めてオープンした時、ロッテワールドの様子は今とは違っていた。初期は「小さな地球村」というコンセプトを前面に出し、室内外空間を国別テーマでしつらえた。ロッテワールドはアトラクションを集めた単なる遊園地ではなく、テーマとストーリーがあるテーマパークだと強調した。
その時はそうだった。「テーマパーク」「アトラクション(遊具)」のような単語が国語辞典にもなかった時代で、海外旅行(1989年1月1日海外旅行全面自由化施行)もまだ馴染みがなかったときだ。ロッテワールドは欧州・南米などからダンサーを連れてきてパレードを行い、34カ所のレストランで世界各国の食を提供した。「スペインの海賊船」「ジュネーブクルーズ」のようにアトラクション一つにもエキゾチックな色彩が表われていた。ジェットコースターの名前がなぜ「フレンチレボリューション(フランス革命)」になったのか、今でも理解できないが、とにかく反応は爆発的だった。オープン初期の最高人気アトラクションだった「シンドバッドの冒険」は本でもないのに読書感想文大会まで開かれるほどだった。
「時速72キロの速度で瞬間急発進、高空急降下!」(2003年『アトゥランティス』広告コピー)。
1990年代後半から2000年序盤、ロッテワールドは大々的なリニューアルに入った。通貨危機と世紀末の雰囲気で世の中がカオス状態だったからか、大衆はさらなる刺激を望んだ。ロッテワールドは古いものを片づけて新たなアトラクションを次々と導入した。代表的な新概念アトラクションが1998年4月100億ウォン(約10億円)をかけて導入した「ジャイロドロップ」だ。長い説明は必要なく、70メートル上空まで急上昇し、2.5秒後に垂直落下するという新しい経験に大衆は熱狂した。その成功に力づけられて登場したのが今まで最高の人気アトラクションとして有名な「アトランティス」(2003年)と「ジャイロスイング」(2001)だ。ロッテワールドはこれで幻想と神秘、地球村の世界旅行を謳ったロマンの時代から「もっと高く」「もっと速く」「もっと刺激的に」を叫ぶスリルの時代へと突入した。
◇デジタル時代のテーマパーク
今はデジタルアトラクションの時代だ。グローバルテーマパークが興行映画の世界観を3D映像に呼び込んでリアルに近い体験で観客を魅了している。例えば香港ディズニーランドには「アイアンマン・エクスペリエンス」が、日本ユニバーサル・スタジオには「ハリー・ポッター・アンド・ザ・フォービドゥン・ジャーニー」がある。
ロッテワールドもデジタル技術を組み合わせたアトラクションを相次いで出している。こどもの日に初公開された「バトルグラウンドワールド・エージェント」も同じだ。オンラインゲーム「バトルグラウンド」を720平方メートル(約220坪)規模の室内空間に移し、1人称視点の生存ゲームを最大16人がチームを組むシューティング・ゲームに変えたのが特徴だ。
アトラクションは3区域に分かれる。始まりは不時着する輸送機内部だ。飛行機がまるで墜落するかのように前後左右に大きく揺れる。飛行機が不時着し、次は戦闘タイムだ。「シューティングシアター」区域に移動して8メートル幅の大型スクリーンで出没する敵と市街戦を行う。最後の区域では3D眼鏡をかけて激しく動く戦闘車両(モーションシミュレーター)に乗って敵と追撃戦を行う。
仮想戦闘はリアリティにあふれ、仮想世界と現実世界を行き来する経験は興味深かった。オンラインゲームと同じデザインの軍事基地と車両(バギー)や銃器など原作ゲームのファンなら垂涎もののディテールも至るところに仕込まれている。
ロッテワールド開発部門のキム・ギョンボム部門長は「既存世代のテーマパークが『家族型』『スリル型』だとすると、今はさまざまなIP(知的所有権)を結合した五感満足型アトラクションの時代」と強調した。
この記事を読んで…