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韓国戦争時に虐殺されたとみられる遺骸約40体見つかる…手首は「軍用電話線」で縛られていた

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

28日、韓国真実和解委員会が公開した忠清南道牙山市排芳邑 (チュンチョンナムド・アサンシ・ペバンウプ)ソンジェ山防空壕遺体発掘現場。[写真 真実和解委員会]

忠清南道牙山市排芳邑 (チュンチョンナムド・アサンシ・ペバンウプ)の野山防空壕で韓国戦争(朝鮮戦争)当時虐殺された後に埋蔵されたと推定される遺骸が大量に発掘された。

第2期真実・和解のための過去史整理委員会(真実和解委員会)は28日、牙山市排芳邑ソンジェ山の防空壕で「牙山附逆(反逆者側に回る)容疑犠牲事件」遺骸発掘現場を公開した。真実和解委員会は「韓国戦争当時の生々しい集団虐殺状況を国民に知らせるためにこの場を設けた」と説明した。

◇牙山防空壕…小銃薬莢・弾頭も見つかる


発掘現場では70年余り前の集団虐殺情況を生々しく伝える完全な形の遺骸約40体と遺品が多数見つかった。遺骸のほとんどはがっしりした男性で、年齢は20代後半から40代初めと推定されている。遺骸は幅3メートル、深さ14メートルの防空壕にしたがって隙間のなく埋まっていた。遺骸は膝を曲げて座った姿勢で、虐殺された後に狭い防空壕に直ちに埋蔵されたものと発掘チームは分析した。

頭上には錆がついた薬莢がのせられていて、手首には軍用電話線が巻かれていた状態だった。一部の遺骸は手首の骨にこの電話線がつながっていた。現場では虐殺時に使ったと推定されるA1小銃の薬莢(57発分)と弾頭(3発分)、カービン小銃の薬莢(15発分)、日帝強制占領期間に日本軍が使っていた小銃99式小銃の薬莢も見つかった。遺品ではボタンやベルト(9個)、履物(39足)などが残っていた。

真実和解委は昨年5月、牙山市と牙山遺族会がソンジェ山防空壕で進めた試掘作業で一部遺骸と薬莢が見つかるとすぐに発掘に着手した。作業は7日から20余日間、ソンジェ山防空壕で行われた。

◇附逆容疑関連者・家族を虐殺した後に遺棄したと推定

遺骸発掘地は1950年10月温陽(オニャン)警察署(現牙山警察署)の業務が正常化しながら左翼附逆容疑関連者とその家族40~50人余りを虐殺した後に死体を遺棄した場所ではないかと推定されている。1951年1・4後退時に「道民証を発行する」として排芳面事務所の横の穀物倉庫2カ所と毛山(モサン)駅付属倉庫に附逆容疑関連者とその家族を拘禁した後、一戸に男子1人だけを残して数日間に数百人を集団虐殺したともいわれている。

今回発掘された遺骸は来月中旬まで洗浄など収拾作業を終えた後、大田山内(テジョン・サンネ)に造成中の山内平和公園に安置される予定だ。真実和解委は近隣の牙山市塩峙邑白岩里(ヨムチウプ・ペクアムリ)セジギ2地点で遺骸を発掘する方針だ。発掘作業を実施した韓国戦史文化研究院のウ・ジョンユン院長は「犠牲者の遺骨発掘は国家が遺族を慰める次元」としながら「犠牲者の魂が安らかに眠りにつけるよう最善を尽くす」と話した。

◇真実和解委、全国7カ所で遺体発掘を進める

一方、真実和解委員会は昨年7月「遺骸埋葬推定地実態調査および遺体発掘中長期ロードマップ樹立最終報告書」を発刊して全国6地域7カ所で遺骸発掘を進めている。



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