韓日の過去史問題は地雷畑だ。独島(ドクト、日本名・竹島)、慰安婦、強制徴用問題が乱麻のように絡まっている。むやみに踏み入っては道に迷う。朴槿恵(パク・クネ)政権は慰安婦問題の扉を開けて重傷を負い、文在寅(ムン・ジェイン)政権はそっと引き返してその扉を閉め支持率の好材料に使った。その地雷畑に尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領が再び踏み入った。無事帰還できるだろうか。
決断は必要だった。行き詰まってしまった韓日関係の流れを開かなければならなかった。地政学的リスクが高まる状況でいつまでも両国の過去問題に縛られることはできない状況だ。現在を危うくして未来を狭めることだ。すぐに米国が両手を挙げて歓迎し、尹大統領の国賓訪米が決定された。韓米同盟が一段階さらに進化するという期待も大きくなった。
しかし現在では「大乗的決断」の結果を予断し難い。海外世論は友好的だが国内世論は分かれる。「物乞いは必要ない」という被害当事者の声もはっきりしている。問題は日本だ。朴槿恵政権と慰安婦合意をした安倍政権は、合意文以外には1粒の誠意も見られなかった。慰安婦被害者に謝罪の手紙を送る案が議論されると「毛頭考えていない」と冷たく言い返した。その瞬間合意文は韓国民の胸中から消されてしまい、朴槿恵政権が厳しい立場となった。日本の4月の統一地方選の過程で同様の妄言が突出する状況を排除することはできない。半分満たされた杯がさらに注がれるどころか割れてしまうかもしれない。
総論が正しいからといって各論を探らないわけにはいかない。韓国の手持ちのカードを性急に見せて日本に主導権を譲ったという指摘は胸に止める必要がある。韓米日三角共助を掲げた米国の催促に心は焦るが、追われているのは日本も同様だった。ポーカーの場で実力と運のほかに負ける理由は2種類だ。お金が少なかいか、早く席を立たなければならないか。実務陣が「速度調節論」を主張したが、尹大統領は「責任は私が取る」という一言で一蹴した。尹錫悦式リーダーシップを凝縮的に見せる場面だ。そのため政治的負担はすべて大統領の肩にのしかかるほかない。
大統領の決断といえば思い出されるのがトルーマン元米大統領の机上の座右の銘を刻んだプレートだ。プレートに書かれた「すべての責任は私が取る(the Buck Stops here!)」は、大統領の姿勢に言及する際に最も多く引用される言葉だ。第2次大戦中にルーズベルトの急逝により副大統領からどさくさで大統領になったトルーマンは、このプレートの裏でさまざまな歴史的決定を下した。2度の原爆投下、マーシャルプラン、北大西洋条約機構(NATO)創設、ベルリン空輸作戦、韓国戦争(朝鮮戦争)派兵など。
しかしトルーマンのプレートには責任を強調したかっこいい言葉だけがあったのではない。プレートの裏面には「私はミズーリ出身だ(I’m from Missouri)」と書かれていたことはあまり知られていない事実だ。決断を控えたトルーマンはなぜ自身の出身を再確認したのだろうか。
いまは共和党の勢力がはっきりしているが、20世紀のミズーリは典型的な「スイングステート」(民主党と共和党が交互に勝利する州)だった。それだけ現実主義気質が強い地域だ。州のニックネームが「ショーミーステート」だ。「泡がついた空虚な雄弁は私を説得できない。私には見せなければならない。私はミズーリ出身だ」というミズーリ州出身連邦下院議員ウィラード・ダンカン・バンダイバーの1899年の演説だ。ミズーリを説明する時には忘れてはならない。「私はミズーリ出身」という隠れた座右の銘は「確かめてみるべきことは確かめる」という現実重視の誓いではなかっただろうか。州の力が弱い中部出身でトルーマンが中央政治の舞台で成功したのもこうした現実主義のおかげだったかもしれない。プレートの表面が大統領の「当為」だったなら、プレートの裏面は政治家の「存在」だったということだ。
指導者の決断は孤独だ。そのため悲壮美を帯びる。しかし「決断」と「独断」の間の境界線は思ったよりぼやけている。大統領は個人だが大統領職は制度だ。共和的価値が集約された憲法機構だ。最終的意思決定は指導者の役割だが最後まで聞いて説得しなければならないという話だ。決断という名前で覆った意思決定過程はたびたび「私には見せなければならない」という鋭い声とぶつかる。すぐではないにしてもいつかはそうだ。5年単任制の宿命だ。
賽は投げられた。強制徴用解決策は尹大統領の就任後最大の決断だ。政権を支持するかどうかを離れ、この決断が失敗すれば韓国外交は進む道を失う。このためにも当為と存在(現実)の調和を見いださなければならない。できることとやりたいことを区分する知恵が必要だ。そうしたことを決断だけではすることはできない。
尹大統領の執務室の机の上にはトルーマンをまねたプレートがある。昨年5月に訪韓したバイデン米大統領がプレゼントしたものだ。そのプレートの裏面にどんな言葉があるのか、あるいは何も書かれていないのかは明らかになっていない。もし空白ならばどんな言葉を書き込むのか尹大統領が悩んでみたならばと思う。決断は現実と結合する時にさらに強固になるものだ。
イ・ヒョンサン/論説室長
決断は必要だった。行き詰まってしまった韓日関係の流れを開かなければならなかった。地政学的リスクが高まる状況でいつまでも両国の過去問題に縛られることはできない状況だ。現在を危うくして未来を狭めることだ。すぐに米国が両手を挙げて歓迎し、尹大統領の国賓訪米が決定された。韓米同盟が一段階さらに進化するという期待も大きくなった。
しかし現在では「大乗的決断」の結果を予断し難い。海外世論は友好的だが国内世論は分かれる。「物乞いは必要ない」という被害当事者の声もはっきりしている。問題は日本だ。朴槿恵政権と慰安婦合意をした安倍政権は、合意文以外には1粒の誠意も見られなかった。慰安婦被害者に謝罪の手紙を送る案が議論されると「毛頭考えていない」と冷たく言い返した。その瞬間合意文は韓国民の胸中から消されてしまい、朴槿恵政権が厳しい立場となった。日本の4月の統一地方選の過程で同様の妄言が突出する状況を排除することはできない。半分満たされた杯がさらに注がれるどころか割れてしまうかもしれない。
総論が正しいからといって各論を探らないわけにはいかない。韓国の手持ちのカードを性急に見せて日本に主導権を譲ったという指摘は胸に止める必要がある。韓米日三角共助を掲げた米国の催促に心は焦るが、追われているのは日本も同様だった。ポーカーの場で実力と運のほかに負ける理由は2種類だ。お金が少なかいか、早く席を立たなければならないか。実務陣が「速度調節論」を主張したが、尹大統領は「責任は私が取る」という一言で一蹴した。尹錫悦式リーダーシップを凝縮的に見せる場面だ。そのため政治的負担はすべて大統領の肩にのしかかるほかない。
大統領の決断といえば思い出されるのがトルーマン元米大統領の机上の座右の銘を刻んだプレートだ。プレートに書かれた「すべての責任は私が取る(the Buck Stops here!)」は、大統領の姿勢に言及する際に最も多く引用される言葉だ。第2次大戦中にルーズベルトの急逝により副大統領からどさくさで大統領になったトルーマンは、このプレートの裏でさまざまな歴史的決定を下した。2度の原爆投下、マーシャルプラン、北大西洋条約機構(NATO)創設、ベルリン空輸作戦、韓国戦争(朝鮮戦争)派兵など。
しかしトルーマンのプレートには責任を強調したかっこいい言葉だけがあったのではない。プレートの裏面には「私はミズーリ出身だ(I’m from Missouri)」と書かれていたことはあまり知られていない事実だ。決断を控えたトルーマンはなぜ自身の出身を再確認したのだろうか。
いまは共和党の勢力がはっきりしているが、20世紀のミズーリは典型的な「スイングステート」(民主党と共和党が交互に勝利する州)だった。それだけ現実主義気質が強い地域だ。州のニックネームが「ショーミーステート」だ。「泡がついた空虚な雄弁は私を説得できない。私には見せなければならない。私はミズーリ出身だ」というミズーリ州出身連邦下院議員ウィラード・ダンカン・バンダイバーの1899年の演説だ。ミズーリを説明する時には忘れてはならない。「私はミズーリ出身」という隠れた座右の銘は「確かめてみるべきことは確かめる」という現実重視の誓いではなかっただろうか。州の力が弱い中部出身でトルーマンが中央政治の舞台で成功したのもこうした現実主義のおかげだったかもしれない。プレートの表面が大統領の「当為」だったなら、プレートの裏面は政治家の「存在」だったということだ。
指導者の決断は孤独だ。そのため悲壮美を帯びる。しかし「決断」と「独断」の間の境界線は思ったよりぼやけている。大統領は個人だが大統領職は制度だ。共和的価値が集約された憲法機構だ。最終的意思決定は指導者の役割だが最後まで聞いて説得しなければならないという話だ。決断という名前で覆った意思決定過程はたびたび「私には見せなければならない」という鋭い声とぶつかる。すぐではないにしてもいつかはそうだ。5年単任制の宿命だ。
賽は投げられた。強制徴用解決策は尹大統領の就任後最大の決断だ。政権を支持するかどうかを離れ、この決断が失敗すれば韓国外交は進む道を失う。このためにも当為と存在(現実)の調和を見いださなければならない。できることとやりたいことを区分する知恵が必要だ。そうしたことを決断だけではすることはできない。
尹大統領の執務室の机の上にはトルーマンをまねたプレートがある。昨年5月に訪韓したバイデン米大統領がプレゼントしたものだ。そのプレートの裏面にどんな言葉があるのか、あるいは何も書かれていないのかは明らかになっていない。もし空白ならばどんな言葉を書き込むのか尹大統領が悩んでみたならばと思う。決断は現実と結合する時にさらに強固になるものだ。
イ・ヒョンサン/論説室長
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