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「春が消えた」 拙いハングルで表現…ウクライナの若者たちの「鬱憤の日記帳」(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

31日(現地時間)、ウクライナの首都キーウのある家庭で停電が始まった中、11歳のパジェイがバッテリーで明かりをつけている。 キム・ホンボム記者

「新冷戦」の暗い影を落とした21世紀の世界史の縮小版。ヨーロッパ大陸のデタントを壊したロシア-ウクライナ戦争が象徴する現実だ。双方の死傷者は20万人を超え、避難民は1000万人にのぼる。この悲劇に終わりはあるのか。年を越えて長期戦の兆候まで表れているこの戦争に現地の人々はどう耐えているのか。戦争勃発直後にウクライナ・ポーランド国境の避難現場を訪れた中央日報が、開戦から1年を迎えるウクライナに入って戦争の惨状を伝える。

「2022年3月1日。私は地下室で過ごした。冬が終わったのか分からなかった…」。「2022年3月8日。サイレンが鳴る。1、2、3…遠くから爆発音が聞こえる。薬が必要なのでずっと立っている。薬局は数時間だけ店を開く」

ウクライナの首都キーウに住む20歳のマリアが昨年2月のロシアの侵攻後、拙い韓国語で書いた日記帳だ。「私の春」と題したこの日記は、ウクライナ現地の韓国人教師アンナ(現地名)が編集した本『2022年春 私の日記』に収録されている。「韓国文化に関心があり、韓国企業に就職したくて」1-3年前から韓国語を習ってきた10、20代の学生がロシアによる空襲の中で書いた「キーウの日記」だ。「私の春は短いが、厳しかった。泣いてばかりで眠ることができなかった」「私の春は消えた。折れないように努力するが、緊張に耐えられない」などと告白した。


アンナ教師は序文で「学生たちの経験を直接伝えるために誤字や文法の誤りを修正せずそのまま載せた」と伝えた。記者はロシアによるウクライナ侵攻から1年を控えて先月31日(現地時間)にキーウを訪問した際、マイダン広場付近の韓国教育院の講義室でこの本を入手した。韓国メディアに初めて公開された。

◆拙いハングルの日記 「私の春は消えた」

昨年2月24日に始まった戦争は、誰よりも青少年の日常生活を奪った。ソフィア・コリアデンコさん(16)は日記で2月26日の誕生日パーティーが避難のために延期されたことを惜しんだ。多くの苦難の末、近隣都市ボロディアンカに避難したが、そこにもロシアタンクが入っていた。タンクを72台まで数えたという。「26日、私の誕生日パーティーが開かれるはずだったが、みんな完全に忘れた。私たちは地下室で夜を過ごした」。

◆早く成長する子ども、甘える時期なく募金活動

キーウの平凡な家庭でも「失われた日常」は容易に目撃された。先月31日午前9時ごろ、記者がサシャ(13)とパジェイ(11)の家を訪れた時、突然停電になった。一日に4、5時間ほど停電するという。パジェイは慣れた動きでに真っ暗な中「停電時用の電気」と言いながら非常用バッテリーをつけた。

「ウェーン」。午前11時、窓の外で大きな空襲警報が鳴った。子どもたちは急いで窓側から最も遠い部屋に記者を連れて行った。空襲警報には近隣の地下鉄など防空施設に移動するのが原則だが、一日にも何度も鳴るため、ほとんどの場合は家の中にいるという。携帯電話から鳴るピーピーという警報に緊張する記者とは違い、子どもたちは落ち着いた表情だった。

戦争は子どもたちを「大人」のように成長させた。パジェイは「父が戦線にいて心配だが、誇りに思う。早くロシアをやっつけて帰ってきてほしい」と淡々と話した。父アレクサンドルさん(40)は戦争が始まるまで地域のラジオ局に勤務していたが、開戦後には軍に入って最前線の東部バフムトで戦っている。昨年6月26日にハルキウ(ハリコフ)戦線で砲撃の破片で負傷したと伝えられた。サシャとパジェイは最近、戦線に送る軍用ヘルメットを購入するためアパートの住民を相手に募金活動をしている。


「春が消えた」 拙いハングルで表現…ウクライナの若者たちの「鬱憤の日記帳」(2)

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