30日、ウクライナの首都キーウの北部カチュジャンカ村付近にある商店で会ったアレクサンドルさん(64)は「ロシア軍が店を略奪して行った後、まだその借金を返している」と話しながらも「結局、ロシアの若い軍人もプーチン大統領の嘘に振り回されているのでは」と語った。 カチュジャンカ=キム・ホンボム記者
所々にものものしい検問所があった。1月30日(現地時間)、ウクライナの首都キーウを抜けて北部ベラルーシ側に向かう道では、小銃を持ったウクライナ軍の関係者が記者の前に立ちはだかる。記者身分証(プレスカード)を見せて取材目的を伝えた後、通行が許される。緊張感はベラルーシが近づくほど高まった。昨年2月24日にウクライナの3面が砲声に包まれた時、北側から南下してきたロシア軍に最初に踏みにじられた地域であることを実感させる。
ベラルーシを経てウクライナ・キーウに南下したロシア軍の1年前の侵攻ルートを遡りながら、戦争が残した傷跡をたどった。記者はキーウを出発し、カチュジャンカ、イワンキウを経てプリビルスクまで接近した。プリビルスクはベラルーシとの国境から直線距離でわずか40キロ、原発事故で有名なチェルノブイリ地域とは約20キロしか離れていない都市だ。
◆侵攻ルートをたどると…あちこちに「悲劇」
戦争が始まってからもうすぐ1年となるが、住民の胸中の時計はまだ昨年2月に留まっているようだった。キーウ都心から北側に70キロほど離れたカチュジャンカ近隣の村。60代の女性タチアナさんは開戦状況をはっきりと記憶していた。
タチアナさんはロシア軍隊が侵攻2日目の2月26日に村を占領してから撤退するまでの35日間を地下室に隠れながら耐えしのいだ。タチアナさんが隠れている間、9歳の娘と道路を歩いていった父母がロシア軍の砲弾で亡くなるなど生死が分かれた。記者の手を引きながら村の各地を案内したタチアナさんは「ここからベラルーシまでは本当に近い」とし「ロシア軍がまた来るのではと思うと本当に恐ろしい」と語った。
小さな食料品店を運営するアレクサンドルさん(64)は避難してから1カ月ぶりに店を戻った当時の場面が忘れられないという。ロシア軍が略奪していった陳列台は空っぽになっていた。アレクサンドルさんは1300万ウォン(約137万円)相当の商品を仕入れるために銀行から借金をしたが、いつ返済できるか分からないと話した。
イワンキウとプリビルスクなども似た状況だった。特にここの市民は隣接するベラルーシがロシア軍に侵略ルートを開いたことに怒りを抱いていた。
イワンキウで会ったワシリーさん(65)は「両国の国境地帯の住民は以前から交流が多かった」とし「私も1970年代にはベラルーシで建設労働者として働いた」と振り返った。続いて「そのベラルーシがロシア軍に侵略ルートを譲ったのは衝撃」とし「ロシアにプーチン(大統領)、ベラルーシにルカシェンコ(大統領)のような独裁者が残っている限り、良い日がくることはない」と語った。
ウクライナ「獣のように扱われた」…血の色「侵攻の道」に刻まれた怨恨(2)
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