中国人旅行客に対する国際的防疫が強化されると、中国は今月10日、たった2国に対して「短期ビザ中断」の報復に出た。韓国と日本だ。日本に対する報復は29日に解除されたが、その時こう思った。「韓日が協力して対応していたらどうだっただろうか」。強制徴用問題などで両国関係がどん底にある最近の雰囲気では、妄想のように聞こえるかもしれない。
だが、1965年関係正常化以降、両国は協力の歳月が反目の時間よりもはるかに長かった。両国関係に致命傷を負わせた2012年李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島(ドクト、日本名・竹島)訪問以前まで、約40年間は概して押したり引いたりする関係だった。実際、1970年代初頭、米国ニクソン政府が国連軍司令部を廃止すると言って韓国が非常事態に陥ったときがある。すると1973年国連総会で日本代表は「一方的な国連軍司令部解体は韓半島(朝鮮半島)の平和を脅かす」と力説して韓国を代弁した。国連舞台での激しい南北外交戦の時、米国と共に核心支援国の役割を果たしたのも日本だった。70年代末、カーター大統領が在韓米軍完全撤退を主張した時もそうだった。1977年ワシントンに行った福田赳夫首相は「『撤退』ではなく『縮小』に進むべきだ」とカーターを説得した。日本の力がどれくらい強かったのか分からないが、結局国連軍司令部も無事で撤退問題も縮小ということで落ち着いた。これだけではない。米中デタント以降、韓国共産圏外交の前哨基地の一つが日本だった。日本は自国内の共産国公館を疎通チャネルとして活用させた。
安保協力も緊密だった。北朝鮮の脅威が日増しに強まり、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は1979年自衛隊の永野茂門・陸上幕僚長と山下元利・防衛庁長官を相次いで招いた。2人は軍部隊を視察して両国間の軍事協力について議論した。山下は勲章まで受章している。これをさらに発展させたのは金大中(キム・デジュン)大統領だった。金大統領の在任中、韓日安保政策協議会が新設されて国防部-自衛隊間のホットラインが設置された。韓国海軍と日本海上自衛隊の艦艇が捜索・救難共同訓練(SAREX)を始めたのもそのころである1998年だった。数多くの葛藤がある中でも日本が韓国を助けたのはもちろん自国のためになるからだった。
このように必要な時は協力し合っていた韓日関係が悪化したのは反日感情を自分の政治に利用しようとした政治家のせいが大きい。支持率挽回のために独島に行った李明博(イ・ミョンバク)大統領や慰安婦合意を破った文在寅(ムン・ジェイン)大統領はともに韓日関係をめちゃくちゃにしたという批判から自由になれない。特に文大統領時期の2017年は、どんなに韓日葛藤が深かったとしても継続してきたSAREXまで中断となった。日本が韓国の日米豪印戦略対話(QUAD=クアッド)加入に否定的なことも関係悪化と無関係ではない。
最近、少なくない人々が日本を盛りを過ぎた国と感じている。製品競争力が落ちて日本文化の人気も弱まったためだ。それでも依然として日本は学ぶことが多い国だ。最近外交専門紙「フォーリン・ポリシー」に「日本国内の魔法の言葉」という記事が掲載された。「米国は日本政府から中国とのデカップリングのための産業政策を学べ」というのが核心メッセージだった。日本政府が中国依存が激しい経済体質を変えるために技術開発を促して輸出入の多角化を主導しているということだ。誰よりも韓国に切実なノウハウではないか。
状況がこうであるにもかかわらず、一部政治家は反日カードを相変わらず乱用している。野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表は韓日米合同演習を巡り「極端な親日行為」「日本軍の韓半島進駐が生じるかもしれない」と批判している。では民主党の「精神的支え」である金大中大統領が韓日軍事協力を重視していた事実についてはどう説明するつもりなのか。日本の過ちを忘れようというわけではない。過去に拘泥し、国益を引き上げる機会まで蹴ってしまうのはやめようということだ。特に今後激化する「チャイナブリーイング(China Bullying・中国の嫌がらせ)」に対抗して協力して対応することもできる。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政府の韓日関係改善に対する努力もこのような角度で見つめなければならない。
ナム・ジョンホ/中央日報コラムニスト
だが、1965年関係正常化以降、両国は協力の歳月が反目の時間よりもはるかに長かった。両国関係に致命傷を負わせた2012年李明博(イ・ミョンバク)大統領の独島(ドクト、日本名・竹島)訪問以前まで、約40年間は概して押したり引いたりする関係だった。実際、1970年代初頭、米国ニクソン政府が国連軍司令部を廃止すると言って韓国が非常事態に陥ったときがある。すると1973年国連総会で日本代表は「一方的な国連軍司令部解体は韓半島(朝鮮半島)の平和を脅かす」と力説して韓国を代弁した。国連舞台での激しい南北外交戦の時、米国と共に核心支援国の役割を果たしたのも日本だった。70年代末、カーター大統領が在韓米軍完全撤退を主張した時もそうだった。1977年ワシントンに行った福田赳夫首相は「『撤退』ではなく『縮小』に進むべきだ」とカーターを説得した。日本の力がどれくらい強かったのか分からないが、結局国連軍司令部も無事で撤退問題も縮小ということで落ち着いた。これだけではない。米中デタント以降、韓国共産圏外交の前哨基地の一つが日本だった。日本は自国内の共産国公館を疎通チャネルとして活用させた。
安保協力も緊密だった。北朝鮮の脅威が日増しに強まり、朴正熙(パク・チョンヒ)大統領は1979年自衛隊の永野茂門・陸上幕僚長と山下元利・防衛庁長官を相次いで招いた。2人は軍部隊を視察して両国間の軍事協力について議論した。山下は勲章まで受章している。これをさらに発展させたのは金大中(キム・デジュン)大統領だった。金大統領の在任中、韓日安保政策協議会が新設されて国防部-自衛隊間のホットラインが設置された。韓国海軍と日本海上自衛隊の艦艇が捜索・救難共同訓練(SAREX)を始めたのもそのころである1998年だった。数多くの葛藤がある中でも日本が韓国を助けたのはもちろん自国のためになるからだった。
このように必要な時は協力し合っていた韓日関係が悪化したのは反日感情を自分の政治に利用しようとした政治家のせいが大きい。支持率挽回のために独島に行った李明博(イ・ミョンバク)大統領や慰安婦合意を破った文在寅(ムン・ジェイン)大統領はともに韓日関係をめちゃくちゃにしたという批判から自由になれない。特に文大統領時期の2017年は、どんなに韓日葛藤が深かったとしても継続してきたSAREXまで中断となった。日本が韓国の日米豪印戦略対話(QUAD=クアッド)加入に否定的なことも関係悪化と無関係ではない。
最近、少なくない人々が日本を盛りを過ぎた国と感じている。製品競争力が落ちて日本文化の人気も弱まったためだ。それでも依然として日本は学ぶことが多い国だ。最近外交専門紙「フォーリン・ポリシー」に「日本国内の魔法の言葉」という記事が掲載された。「米国は日本政府から中国とのデカップリングのための産業政策を学べ」というのが核心メッセージだった。日本政府が中国依存が激しい経済体質を変えるために技術開発を促して輸出入の多角化を主導しているということだ。誰よりも韓国に切実なノウハウではないか。
状況がこうであるにもかかわらず、一部政治家は反日カードを相変わらず乱用している。野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表は韓日米合同演習を巡り「極端な親日行為」「日本軍の韓半島進駐が生じるかもしれない」と批判している。では民主党の「精神的支え」である金大中大統領が韓日軍事協力を重視していた事実についてはどう説明するつもりなのか。日本の過ちを忘れようというわけではない。過去に拘泥し、国益を引き上げる機会まで蹴ってしまうのはやめようということだ。特に今後激化する「チャイナブリーイング(China Bullying・中国の嫌がらせ)」に対抗して協力して対応することもできる。尹錫悦(ユン・ソクヨル)政府の韓日関係改善に対する努力もこのような角度で見つめなければならない。
ナム・ジョンホ/中央日報コラムニスト
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