◆一部は倉庫で、一部は予備戦力と共に…静かな引退
これら戦車が国軍の主力戦車だった時代には850両以上が運用された。そして第3世代の戦車が登場したことで、全盛期も幕を下ろすことになった。1987年、2014年にそれぞれ実戦配備されたK1「88戦車」、K2「黒豹」戦車が、M48A3K、M48A5Kと置き換えられた。
M48A3Kは1990年代後半に陸軍から海兵隊に移り、昨年すべて実戦から退いた。現在、海兵隊第2師団に約40両が保管されているというが、昨年10月に倉庫に入り、今年上半期に退役手続きを踏むとみられる。軍当局は安保展示館の展示用など今後の活用案を検討している。
M48A5Kは依然として現役だ。大半は予備軍が主軸の動員師団に退いているが、依然として約400両が運用されている。K1とK2が対戦車戦を担当すると見れば、歩兵を支援する任務ではまだ使用できるというのが軍内外の評価だ。有事の際、固定砲塔として北朝鮮の機甲戦力を消耗する役割としても役に立つ。1、2年以内にK2が追加で量産されて配備されれば完全な退役が可能とみられる。
◆「老兵は死なず、消え去るのみ」 「初」記録K1・K2の先祖
もちろん1978年に改良されたこれら戦車のうち一部は1950年代に生産された車体を持つため、老朽化の声は絶えない。2011年には戦車を維持する場合に得る利益より年平均整備費用の方が多くかかり、残存価値がないという評価も受けた。
それでもK1とK2が得た「初」記録を考えると、これら老将の重みは相当なものだ。米国で開発されたK1は国内工場で生産された初の戦車であり、K2は韓国の技術で開発・生産された初の戦車だ。K1の父、K2の祖父と見ることができる。ディフェンスタイムズのアン・スンボム編集長は「何もなかった韓国の戦車開発分野でM48の組み立ては分岐点になった」とし「K1生産ラインを構築する基盤となり、K2開発にもつながった」と説明した。
北の戦車に驚いた朴正熙が手掛けた…「K2黒豹」が退役へ(1)
これら戦車が国軍の主力戦車だった時代には850両以上が運用された。そして第3世代の戦車が登場したことで、全盛期も幕を下ろすことになった。1987年、2014年にそれぞれ実戦配備されたK1「88戦車」、K2「黒豹」戦車が、M48A3K、M48A5Kと置き換えられた。
M48A3Kは1990年代後半に陸軍から海兵隊に移り、昨年すべて実戦から退いた。現在、海兵隊第2師団に約40両が保管されているというが、昨年10月に倉庫に入り、今年上半期に退役手続きを踏むとみられる。軍当局は安保展示館の展示用など今後の活用案を検討している。
M48A5Kは依然として現役だ。大半は予備軍が主軸の動員師団に退いているが、依然として約400両が運用されている。K1とK2が対戦車戦を担当すると見れば、歩兵を支援する任務ではまだ使用できるというのが軍内外の評価だ。有事の際、固定砲塔として北朝鮮の機甲戦力を消耗する役割としても役に立つ。1、2年以内にK2が追加で量産されて配備されれば完全な退役が可能とみられる。
◆「老兵は死なず、消え去るのみ」 「初」記録K1・K2の先祖
もちろん1978年に改良されたこれら戦車のうち一部は1950年代に生産された車体を持つため、老朽化の声は絶えない。2011年には戦車を維持する場合に得る利益より年平均整備費用の方が多くかかり、残存価値がないという評価も受けた。
それでもK1とK2が得た「初」記録を考えると、これら老将の重みは相当なものだ。米国で開発されたK1は国内工場で生産された初の戦車であり、K2は韓国の技術で開発・生産された初の戦車だ。K1の父、K2の祖父と見ることができる。ディフェンスタイムズのアン・スンボム編集長は「何もなかった韓国の戦車開発分野でM48の組み立ては分岐点になった」とし「K1生産ラインを構築する基盤となり、K2開発にもつながった」と説明した。
北の戦車に驚いた朴正熙が手掛けた…「K2黒豹」が退役へ(1)
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