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NPB南海ホークスでデビューした韓国プロ野球元監督が死去

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

韓国プロ野球OBベアーズ初代監督で韓国シリーズ優勝の指令塔である金永徳元監督(左)が21日に死去した。2011年4月2日に斗山がプロ野球元年の韓国シリーズ優勝30年を記念して用意した優勝指輪伝達式で金永徳初代監督と李広煥初代打撃コーチがインタビューをしている。[中央フォト]

韓国プロ野球で最初の韓国シリーズ優勝の指令塔である金永徳(キム・ヨンドク)元監督が21日に死去した。享年87。

1936年に日本で生まれ、逗子開成高校卒業した金元監督は、1956年に日本のプロ野球南海ホークスでデビューした。右腕投手として1963年まで活躍し、1959年には日本シリーズ優勝も経験した。

1964年に韓国に帰国した金元監督は、大韓海運公社とクラウンビール、韓一銀行で活躍し名前が知れ渡った。また、1970年からは韓一銀行で監督兼選手を務め指導者生活もともに始めた。


続けて奨忠(チャンチュン)高校と北一(プギル)高校で監督を務めた金元監督は1982年の韓国プロ野球発足とともにOBベアーズ(現斗山ベアーズ)の初代監督を務めた。当時金元監督を補佐したコーチが後に指導者として優れた業績を残した金星根(キム・ソングン)投手コーチと李広煥(イ・グァンファン)打撃コーチだった。

25人の選手団とともにKBOリーグに飛び込んだ金元監督はOBを前期リーグ1位に導き韓国シリーズへのチケットを手にした。続けてサムスンライオンズと対戦した韓国プロ野球初の韓国シリーズで4勝1敗1分けで優勝した。当時OBベアーズにはパク・チョルスンとユン・ドンギュン、キム・ウヨル、シン・ギョンシク、キム・ユドンなどそうそうたる選手がいたが、日本と韓国で多くの経験をした金元監督の指導力がなかったならば不可能なことだった。

しかし金元監督はこの時以降韓国シリーズ優勝とはなかなか縁ができなかった。サムスン監督だった1985年に前・後期リーグを制覇したが、前年の1984年には崔東原(チェ・ドンウォン)が活躍するロッテジャイアンツの壁を超えられなかった。また、サムスン監督最後の年である1986年と、ビングレイーグルスの監督を務めた1988~1989年と1991年にはヘテタイガーズを相手にいつも敗れ、最後の韓国シリーズ進出を導いた1992年も再びロッテの牙城の前に苦杯をなめた。

通算で韓国シリーズ優勝1回、準優勝6回の記録を残した金元監督は1993年にビングレ監督から退き指導者としての人生を終えた。プロ野球監督としての成績は1207試合707勝480敗20分け。707勝は歴代監督最多勝7位の記録だ。何より差別が激しかった在日韓国人として多くの逆境を乗り越えて残した大型の足跡は後輩指令塔の手本になった。

その後2011年に斗山(トゥサン)の優勝30年を記念する優勝指輪伝達式、2017年プロ野球オールスター戦始球式、2018年ハンファホーム開幕戦始球式などを通じて野球ファンに姿を見せた金元監督だったが、グラウンドと永遠にお別れすることになった。

金元監督の葬儀は盆唐(プンダン)ソウル大学病院で行われる。出棺は25日午前10時30分だ。



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