金正恩(キム・ジョンウン)北朝鮮国務委員長
前代の実力者に対する「見せしめ式粛清」をはばからなかった金委員長が最近人事を自身に対する忠誠競争を起こす手段として活用している点からだ。
金委員長は執権直後である2012年7月に父親である金正日(キム・ジョンイル)国防委員長の厚い信任を受けていた李英浩(イ・ヨンホ)北朝鮮軍総参謀長を反革命分子として粛清した。翌年には叔母の夫である張成沢(チャン・ソンテク)を「反党反革命分派」容疑により党政治局拡大会議で粛清した後、軍事裁判で「国家転覆陰謀行為」で死刑に処した。
彼はその後も「会議での居眠り」(玄永哲人民武力部長)、「会議での姿勢不良」(金勇進副首相)、「異論提示」(崔英健副首相)などの罪目で高官クラスの人物を残忍に高射砲と火炎放射器で処刑した。
このような「恐怖政治」は金委員長執権初期に規律を引き締める土台だったとの評価を受ける。そうするうちに恐怖を前に出した人事スタイルは時が過ぎて変わった。特定懸案の責任を問いながらも忠誠競争を誘導するために解任と降格と再信任を繰り返す一種の「回転ドア人事」の性格が明確になってだ。
特に朴正天に続き今回党中央軍事委副委員長に上がった李永吉は「回転ドア人事」の典型に選ばれる。
江原道(カンウォンド)最前方の第5軍団長だった彼は、2012年の金正恩執権後に昇進を繰り返しながら2013年に韓国の合同参謀議長に相当する軍総参謀長に上がった。だが2016年2月に彼が総参謀長から解任されたのが確認され、一部では彼の「処刑説」が出たりもした。
しばらく確認できなかった李永吉の生死は、彼が総参謀部作戦総局長に降格された事実が北朝鮮メディアを通じて明らかになり一段落した。その後2018年に総参謀長に再び復帰した後、翌年また再び姿を見せなくなった李永吉は、昨年1月に韓国の警察庁長に相当する社会安全相に任命されたのに続き、今回金氏一家を除いた軍部内最高権力者に復帰した。
当局は金委員長の人事スタイル変化のタイミングを、3大権力世襲を対内外に公式化した2016年の第7回党大会前後とみている。「恐怖政治」を続けてきた金委員長はその後本格的に「昇進→解任・降格→復権」を繰り返し主要人物の成果を圧迫すると同時に忠誠競争をあおる用人術を見せた。
このため今回解任された朴正天に対しても「完全な失脚や粛清ではないかもしれない」との見方も出ている。
実際に彼はすでに解任と復権の「回転ドア」を経験している。
朴正天は砲兵司令官出身で、金委員長の後継者時代に軍事分野の家庭教師役をした。2021年に開いた国防科学展覧会場では金委員長とともに撮った大型写真が掲示されるほどの位置付けを見せた。同年6月に開かれた党政治局拡大会議では防疫失敗の責任を負い李炳哲(イ・ビョンチョル)党中央軍事委員会副委員長とともに失脚した。
当時も朝鮮中央テレビが公開した映像では人事問題と推定される採決で朴正天と李炳哲が選挙を意味する手を挙げなかった姿がとらえられた。だが朴正天はまもなく信任を得て政治局常務委員に上がり、李炳哲もやはり昨年4月に党中央軍事委副委員長兼政治局常務委員に復帰した。
このため専門家の間では朴正天が場合により権力の前面に復帰する可能性を排除できないという見方が出ている。統一研究院のオ・ギョンソプ研究委員は「金正恩は執権初期の恐怖政治を経て自身に忠誠を尽くす完ぺきな人材プールを確保した。責任を負わなければならない状況では責任を問うが、自分に政治的に挑戦したり反旗を翻さない以上は粛清せず一定期間閑職に回して再び抜てきするパターンを見せる」と話した。
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