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「寡婦になると思った」 12年前の悪夢が蘇った…延坪島に残る北朝鮮トラウマ=韓国

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

2010年11月23日の延坪島(ヨンピョンド)砲撃挑発当時、韓国海兵隊のK9自走砲 写真=海兵隊

「寡婦になるのではと思った。子どもが3人もいるのに…」。

仁川市甕津郡(インチョンシ・オンジングン)延坪島(ヨンピョンド)に住むチョ・ヨンミさん(58、女性)は12年前の恐怖がまだ忘れられないという。2010年11月23日午後2時半ごろ、北朝鮮が西海(ソヘ、黄海)延坪島に奇襲で約170発の砲撃を加えた時だった。最初は射撃訓練中に発生した事故と思っていたが、轟音と共に砲弾が落ちると「戦争」がチョさんの頭をかすめた。急いで携帯電話を取り出したが、海に出た夫と登校した子どもとはつながらなかった。避難所でようやく生死を確認した家族は抱き合って安堵したという。

最近チョさんはその時の悪夢が蘇るようだと語った。先月14日に北朝鮮が西海上に約300発の砲撃をしたのに続き、5日には西海上に短距離弾道ミサイル4発を発射した。先月には甕津郡延坪面事務所が住民に「北の海上射撃で砲声が聞こえている。驚くことなく家にとどまるように」と放送し、操業に出た漁船が急いで回航することが2度もあった。チョさんは「10年以上も過ぎたが、まだ砲撃の音を聞くと過敏になる。延坪島民のほとんどが同じ状況」と伝えた。


◆延坪海戦・中国漁船で毎日不安

チョさんは24年前、漁業に従事するホン・ヨンマンさんと結婚し、延坪島での生活を始めた。西海北端の島での生活は厳しかった。2人目の子を妊娠していた1999年6月に第1次延坪海戦が、3人目の子を妊娠していた2002年6月には第2次延坪海戦があった。妊娠中だったチョさんは操業に出る夫を心配して毎日が不安だったという。延坪島近隣の中国漁船もチョさんの心配を深めた。2008年5月には血を流した中国の船員がチョさんの料理店に入ってきたという。違法操業をする中国漁船の間で争いになり、負傷した人たちが延坪島に密かに上陸したのだ。海警が出動して収拾したが、恐怖心は続いたという。不安は2010年秋の北朝鮮の延坪島砲撃でピークに達した。突然の砲撃に海兵隊2人、民間人2人が死亡し、小さな島はパニックになった。一部の住民は自分たちの漁船に乗って避難したが、生業を手放せない人たちは3日後にはまた命がけに海に出なければならなかった。

砲撃以降、地方自治体と政界を中心に支援策があったが、チョさんは「本当の延坪島民のための政策ではない」と感じたという。延坪島内の中学・高校と小学校を合わせた統合学校を建てながらも、設計図に避難所を反映しなかったのが代表的な例だ。代案として提示された倉庫型臨時避難所はガス濾過装置や換気施設がなく、1人あたりの避難人員基準(1.43平方メートル)を満たしていなかった。チョさんは延坪小中高統合教師棟新築正常化推進委員会を結成して声を出した。論議を呼ぶと、仁川市教育庁はようやく全面再工事に旋回した。この時、チョさんは「延坪島の平和と安全のために自ら動かなければいけない」という考えを抱いたという。延坪島学校運営委員会と延坪島住民自治委員会で活動しながら、延坪島の教育環境改善と避難案の用意などのために声を出した。

◆「定住環境改善が傷を癒やす道」

チョさんの希望は島の定住環境改善だ。チョさんは安保状況のために操業時間が制限される点と、旅客船会社の事情によって仁川との一日生活圏から除外される点を解決すべきだと主張した。「この秋はカニ漁が順調でなく心配が多いが、漁業時間が制限されて漁民の打撃が大きかった」というのがチョさんの話だ。チョさんは「政策を樹立する時、延坪島民にはどのようなことが重要で必要かという議論があればいい」とし「それが砲撃トラウマがある延坪島民の傷を癒やして平和に進む道」と語った。



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