77周年8・15光復節(解放記念日)を迎えた。解放後、1948年8月15日に発足した大韓民国政府で初代社会部長官を務めた筆者の祖父・銭鎮漢(チョン・ジンハン)制憲国会議員は大韓労総の初代委員長としても活動した。協同組合を作って抗日運動をし、日帝に捕まって新義州(シンウィジュ)監獄に2年間収監された。
幼い頃に筆者が住んでいた家には、祖父と独立運動を共にした同志が訪れて、独立運動の経験談や韓国の歴史について聞かせてくれた。李承晩(イ・スンマン)、金九(キム・グ)だけでなく名前があまり知られていない独立活動家が日帝の植民支配を強く拒否し、自主・独立のために粘り強く戦った。
大韓独立は対日抗争の歴史だ。非暴力万歳運動から日帝要人暗殺にいたるまで命をかけた抗争だった。その抗争の中心には大韓民国臨時政府があり、現行の大韓民国憲法はその法統を継承する。「歴史を忘れた民族に未来はない」という言葉のように、愛国志士をはじめとする先祖の抗争を記憶しなければ我々に明日はない。対日抗争の歴史と精神を忘れてはいけない理由だ。
それでも韓国社会ではまだ「日帝強占」「日帝強占期」という表現をそのまま使用している。インターネットで日帝強占を英語で検索すると「Japanise Occupation」と表記しているところが多い。さらには政府機関でも「日本占領」と表記し、韓民族の自主性を自ら希釈している。
「対蒙抗争期」は馴染みのある表現だが、「対日抗争期」は依然として少ない。語感上、高麗時代にモンゴルに対しては積極的に抵抗したが、1910年の庚戌国恥から1945年の光復(解放)までの間、日本の侵略に対しては先祖が手放しにしていたと誤解しやすい。誤った用語を使用することで先祖の能動的自主性を毀損しているのだ。
韓民族の対日抗争期を日本では「日本統治時代」という。明確に日本が統治した、治めたと教える。4日に自民党の衛藤征士郎衆院議員が韓日議員連盟合同幹事会議でした「はっきり言って、日本は兄貴分だ」という妄言も同じ脈絡だ。一方、韓国の教科書は「日帝強占期」という用語を使用しながら「やられた」という点を浮き彫りにして教える。日帝の強圧による痛恨の被害経験を強調することもできるだろうが、「やられた」という受身フレームで抗争と犠牲の精神は九牛一毛のような存在と見なされることがあり、残念でならない。
日本のように極右ナショナリズムを刺激して妄言を吐く政治家を育てようという意味ではない。むしろ歴史を通して何を教えるべきか、先祖の能動性と自主性を子孫にどう教えるのか、そしてどんな民族アイデンティティーを抱かせるのかについて真摯な悩みが必要ということだ。
日帝の強圧で国を失って恥辱を受けた事実を決して忘れてはいけないが、我々が激しく戦った事実も度外視してはいけない。消極的で被動的な歴史観は未来志向的であるべき大韓民国と合わない。対日抗争の歴史で民族自尊の伝統と教訓を生かして、今は世界に伸びていく21世紀の新しい歴史を開く必要がある。これが大韓独立の精神の継承であり、愛国志士の夢だったと確信する。
2007年に第17代国会で「日本植民支配を正当化する日帝強占期等類似表現の修正を促す決議案」が本会議を通過した。「日帝植民地時代」「日帝強占期」などの表現は日本の植民支配を事実上認めるもので、韓民族の抗争が十分に反映されていない用語であり不適切だという点を指摘したものだった。民意の殿堂の国会で「対日抗争期」と呼ぶことをすでに15年前に決議したため、メディアと法律、そして日常生活でも「日帝強占期」「日帝植民地時代」という表現は使用してはいけない。
「日帝強占」は日帝の略奪と我々の受難という両極端の構図が反映された表現だ。この用語には日帝の銃刀に血を流しながらも屈しなかった抗争の歴史が反映されていない。護国と自主独立に向けた烈士の精神と意を継承することが真の歴史の復元であり民族的な自尊心回復の道だ。
鄭文憲(チョン・ムンホン)/ソウル鍾路区庁長/元国会議員
◇外部執筆者のコラムは中央日報の編集方針と異なる場合があります。
幼い頃に筆者が住んでいた家には、祖父と独立運動を共にした同志が訪れて、独立運動の経験談や韓国の歴史について聞かせてくれた。李承晩(イ・スンマン)、金九(キム・グ)だけでなく名前があまり知られていない独立活動家が日帝の植民支配を強く拒否し、自主・独立のために粘り強く戦った。
大韓独立は対日抗争の歴史だ。非暴力万歳運動から日帝要人暗殺にいたるまで命をかけた抗争だった。その抗争の中心には大韓民国臨時政府があり、現行の大韓民国憲法はその法統を継承する。「歴史を忘れた民族に未来はない」という言葉のように、愛国志士をはじめとする先祖の抗争を記憶しなければ我々に明日はない。対日抗争の歴史と精神を忘れてはいけない理由だ。
それでも韓国社会ではまだ「日帝強占」「日帝強占期」という表現をそのまま使用している。インターネットで日帝強占を英語で検索すると「Japanise Occupation」と表記しているところが多い。さらには政府機関でも「日本占領」と表記し、韓民族の自主性を自ら希釈している。
「対蒙抗争期」は馴染みのある表現だが、「対日抗争期」は依然として少ない。語感上、高麗時代にモンゴルに対しては積極的に抵抗したが、1910年の庚戌国恥から1945年の光復(解放)までの間、日本の侵略に対しては先祖が手放しにしていたと誤解しやすい。誤った用語を使用することで先祖の能動的自主性を毀損しているのだ。
韓民族の対日抗争期を日本では「日本統治時代」という。明確に日本が統治した、治めたと教える。4日に自民党の衛藤征士郎衆院議員が韓日議員連盟合同幹事会議でした「はっきり言って、日本は兄貴分だ」という妄言も同じ脈絡だ。一方、韓国の教科書は「日帝強占期」という用語を使用しながら「やられた」という点を浮き彫りにして教える。日帝の強圧による痛恨の被害経験を強調することもできるだろうが、「やられた」という受身フレームで抗争と犠牲の精神は九牛一毛のような存在と見なされることがあり、残念でならない。
日本のように極右ナショナリズムを刺激して妄言を吐く政治家を育てようという意味ではない。むしろ歴史を通して何を教えるべきか、先祖の能動性と自主性を子孫にどう教えるのか、そしてどんな民族アイデンティティーを抱かせるのかについて真摯な悩みが必要ということだ。
日帝の強圧で国を失って恥辱を受けた事実を決して忘れてはいけないが、我々が激しく戦った事実も度外視してはいけない。消極的で被動的な歴史観は未来志向的であるべき大韓民国と合わない。対日抗争の歴史で民族自尊の伝統と教訓を生かして、今は世界に伸びていく21世紀の新しい歴史を開く必要がある。これが大韓独立の精神の継承であり、愛国志士の夢だったと確信する。
2007年に第17代国会で「日本植民支配を正当化する日帝強占期等類似表現の修正を促す決議案」が本会議を通過した。「日帝植民地時代」「日帝強占期」などの表現は日本の植民支配を事実上認めるもので、韓民族の抗争が十分に反映されていない用語であり不適切だという点を指摘したものだった。民意の殿堂の国会で「対日抗争期」と呼ぶことをすでに15年前に決議したため、メディアと法律、そして日常生活でも「日帝強占期」「日帝植民地時代」という表現は使用してはいけない。
「日帝強占」は日帝の略奪と我々の受難という両極端の構図が反映された表現だ。この用語には日帝の銃刀に血を流しながらも屈しなかった抗争の歴史が反映されていない。護国と自主独立に向けた烈士の精神と意を継承することが真の歴史の復元であり民族的な自尊心回復の道だ。
鄭文憲(チョン・ムンホン)/ソウル鍾路区庁長/元国会議員
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