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【コラム】21世紀「韓国策略」半導体(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「シー、静かに!」。ワシントン参戦勇士記念公園に設置された「19人勇士像」の先頭兵が発した四周警戒命令。長津湖(チャンジンホ)の酷寒の中で退却する米国勇士のおじけづいた表情が胸を打つ。中国共産軍の攻勢に押された。マイナス25度、どこの国かも知らずに派兵された山岳で米国兵士の数千人が閉じ込められた。米第10軍団の敗残兵は北朝鮮住民10万人を乗せて興南(フンナム)埠頭を離れた。米国兵士らはようやく戦争、それも共産圏との全面戦争であることを実感し始めた。

華川(ファチョン)に集結した人民軍第7師団参謀長の李学九(イ・ハック)総佐は6月25日午前4時、腰の拳銃を抜いた。T-34戦車のキャタピラが轟音を鳴らしながら作動し、曲射砲の砲身が火を噴いた。破竹の勢いで南下した第7師団機甲旅団と歩兵は八堂(パルダン)付近の漢江(ハンガン)渡河で立ち止まった(TRフェーレンバッハ著『This Kind of War』)。

同じ時刻、人民軍第2師団精鋭部隊は春川(チュンチョン)を攻撃した。洪川(ホンチョン)-原州(ウォンジュ)を攻撃する部隊だった。師団長はイ・チョンソン中将。中国抗日義勇軍出身でスペイン内戦に参戦し、ソ連の対独戦線に投入され、人民軍に身を投じたベテランだった。第2師団は昭陽江(ソヤンガン)を渡ることができなかった。春川鳳儀山(ボンウィサン)に集結した韓国軍第6師団野砲部隊と歩兵の攻撃に戦力の40%を喪失した。師団長は金鍾五(キム・ジョンオ)将軍だ(チョン・ビョンジュン著『韓国戦争』)。


ソウル陥落の数日後、スミス部隊が日本から軽い考えで渡ってきた。7月1日、烏山(オサン)付近の高地でスミス部隊は壊滅した。敗残兵は千辛万苦の末、日本に復帰した。そして5カ月後の長津湖戦闘で米国は惨敗することになった。7月26日に公開されたワシントンナショナルモールの「追慕の壁」に刻まれた戦死者は3万6634人、韓国軍KATUSAが7174人で計4万3808人にのぼる。洛東江(ナクトンガン)戦線に投入された人民軍総兵力が6万9000人であり、米国はその半分以上の青年を韓半島(朝鮮半島)に埋めることになった。映画『プライベート・ライアン』はエピソードにすぎない。

こうした歴史と戦争体験を証言する人はほとんど消え、我々は殺戮の惨状を消しながら暮らした。筆者も「戦争のない人生」を送ったことに感謝する限りだ。韓国の地政学的運命を抱えて暮らすのが大変だったためか。韓国が開発した超音速戦闘機KF-21を試験飛行したアン・ジュンヒョン少佐は「胸が熱くなった」と語った。ウクライナの惨禍に驚いたポーランドは韓国製の戦車、自走砲、装甲車の購入に20兆ウォン(約2兆円)を編成した。これほどの予算投入なら韓国の国会なら大騒ぎになっているだろう。南北共同連絡所を通知なく爆破し、核兵器による脅迫に韓国を無視する金正恩(キム・ジョンウン)委員長に媚びる主体思想派の政治家には冷酷な現実判断が不可能だ。韓国よりも北朝鮮と中国が朝鮮戦争の敵意をさらに増幅させて過剰生産したという事実のことだ。


【コラム】21世紀「韓国策略」半導体(2)

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