◆教育通じて育まれなければならない市民性
人間ははじめから市民として生まれるわけではない。現代の代表的民主国家は民主主義の根本原理と価値、手続きと制度を共に理解し、政治参加に必要な知識と討議する力を育成し、多元性を認める寛容と妥協の精神を培うために体系的で持続的な市民教育を行ってきた。
建国当時から市民の関心と参加が民主主義の根幹という価値観を共有してきた米国は、連邦政府・州政府・市民団体・メディアなど様々なルートを通じて市民教育プログラムを運営している。超党派的非営利機構である市民教育センターは「We the People」と「Foundations of Democracy」などの学校市民教育プログラムを開発・普及させている。
1976年に締結された「ボイテルスバッハ合意」はドイツ市民教育の根幹をなすが、次の3原則で構成されている。1つ目、強圧と教化、注入式政治教育を禁じる。2つ目、政治と学問の世界で論争的に扱われる内容は授業時間にもその論争性と各立場がよく表れていなければならない。3つ目、学生たちが直面する政治状況と利害関係を分析し、自律的に判断して行動できる能力を育成する。ドイツを含む欧州民主国家で市民教育を導いていく実質的主体は公教育機関だけでなく市民社会の様々な組織と機構だ。主な政党や社会団体・市民大学・青少年団体など多様な行為者がそれぞれの方式と内容の市民教育を提供する。
◆韓国若者世代、市民的徳性を練磨する機会なく
現在の韓国の市民教育は教科目中心の公式的教育過程に留まっている。これからは市民教育の地平を広げなければならない。韓国は18歳以上の若者有権者に選挙権と被選挙権を付与しているが、彼らが育むべき政治談論のためにどれくらい努力したかは疑問だ。
市民性は具体的な人生の経験が蓄積されて育まれる。初等-中等-高等-生涯教育の前段階で、市民の徳性と力量を育てる教育と訓練が続かなければならない。どのような政治的事案に対する議論も中高等学校の教室で行われることを遮断する慣性的態度を反省しなければならない。市民教育機関として大学の役割に対する関心が不足したのも致命的な空白だ。韓国の後続世代は大学で市民的徳性を練磨する機会さえなく就職準備に追し出されている。大学は未来の労働力を生産する拠点である以前に、共同体を構成する多くの市民が人生周期の形成的時期を送る空間だ。民主主義を支える基盤は単なる知識や情報の量ではなく、葛藤と論争を理解して扱うことができる力量だ。
市民教育は公教育と市民社会の2つの領域で相互補完的に行われなければならない。市民教育のすそ野が拡大していくためには市民社会の多様な主体とルートが必要だ。政府は教育現場と市民社会に存在する談論エコシステムの多様性を培い、討論を増幅させる媒介の役割を担当することが望ましい。市民が地域社会で直接観察・経験し、自ら議題を発掘して問題解決能力と批判的思考力を育てることができる具体的なプログラムを構成するのも重要だ。
古代アテネの英雄ペリクレスは「討論は行動を遮る障害物ではなく、賢明な行動のための必須不可欠の条件」と強調した。
近代以降の民主政治は「討論を通した統治」を指向し発展してきており、今や討論と熟考の手続きと過程は民主主義そのものと見なされるようになった。対話と根拠の提示を通じて参加者の思惟範囲を拡張し、共同線に符合する立法と政策決定を達成するためには市民教育と談論エコシステムをつなぐ枠組みから根本的に組み直さなくてはならない。そうでなければ韓国は後続世代に市民性ではなく政治的冷笑主義だけを継承することになるだろう。
ユ・ホンリム/ソウル大学政治外交学部教授
【コラム】市民討論・論争のない韓国の民主主義は危険だ(1)
人間ははじめから市民として生まれるわけではない。現代の代表的民主国家は民主主義の根本原理と価値、手続きと制度を共に理解し、政治参加に必要な知識と討議する力を育成し、多元性を認める寛容と妥協の精神を培うために体系的で持続的な市民教育を行ってきた。
建国当時から市民の関心と参加が民主主義の根幹という価値観を共有してきた米国は、連邦政府・州政府・市民団体・メディアなど様々なルートを通じて市民教育プログラムを運営している。超党派的非営利機構である市民教育センターは「We the People」と「Foundations of Democracy」などの学校市民教育プログラムを開発・普及させている。
1976年に締結された「ボイテルスバッハ合意」はドイツ市民教育の根幹をなすが、次の3原則で構成されている。1つ目、強圧と教化、注入式政治教育を禁じる。2つ目、政治と学問の世界で論争的に扱われる内容は授業時間にもその論争性と各立場がよく表れていなければならない。3つ目、学生たちが直面する政治状況と利害関係を分析し、自律的に判断して行動できる能力を育成する。ドイツを含む欧州民主国家で市民教育を導いていく実質的主体は公教育機関だけでなく市民社会の様々な組織と機構だ。主な政党や社会団体・市民大学・青少年団体など多様な行為者がそれぞれの方式と内容の市民教育を提供する。
◆韓国若者世代、市民的徳性を練磨する機会なく
現在の韓国の市民教育は教科目中心の公式的教育過程に留まっている。これからは市民教育の地平を広げなければならない。韓国は18歳以上の若者有権者に選挙権と被選挙権を付与しているが、彼らが育むべき政治談論のためにどれくらい努力したかは疑問だ。
市民性は具体的な人生の経験が蓄積されて育まれる。初等-中等-高等-生涯教育の前段階で、市民の徳性と力量を育てる教育と訓練が続かなければならない。どのような政治的事案に対する議論も中高等学校の教室で行われることを遮断する慣性的態度を反省しなければならない。市民教育機関として大学の役割に対する関心が不足したのも致命的な空白だ。韓国の後続世代は大学で市民的徳性を練磨する機会さえなく就職準備に追し出されている。大学は未来の労働力を生産する拠点である以前に、共同体を構成する多くの市民が人生周期の形成的時期を送る空間だ。民主主義を支える基盤は単なる知識や情報の量ではなく、葛藤と論争を理解して扱うことができる力量だ。
市民教育は公教育と市民社会の2つの領域で相互補完的に行われなければならない。市民教育のすそ野が拡大していくためには市民社会の多様な主体とルートが必要だ。政府は教育現場と市民社会に存在する談論エコシステムの多様性を培い、討論を増幅させる媒介の役割を担当することが望ましい。市民が地域社会で直接観察・経験し、自ら議題を発掘して問題解決能力と批判的思考力を育てることができる具体的なプログラムを構成するのも重要だ。
古代アテネの英雄ペリクレスは「討論は行動を遮る障害物ではなく、賢明な行動のための必須不可欠の条件」と強調した。
近代以降の民主政治は「討論を通した統治」を指向し発展してきており、今や討論と熟考の手続きと過程は民主主義そのものと見なされるようになった。対話と根拠の提示を通じて参加者の思惟範囲を拡張し、共同線に符合する立法と政策決定を達成するためには市民教育と談論エコシステムをつなぐ枠組みから根本的に組み直さなくてはならない。そうでなければ韓国は後続世代に市民性ではなく政治的冷笑主義だけを継承することになるだろう。
ユ・ホンリム/ソウル大学政治外交学部教授
【コラム】市民討論・論争のない韓国の民主主義は危険だ(1)
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