ユーチューブ中毒が招いた現象の一つが子どもの読解力低下という。映像ばかりに慣れて、文字を読んで理解する能力が大きく退化しているという警告だ。ところで読解力に関しては子どもだけが問題ではない。
分断した韓半島(朝鮮半島)で暮らしている我々の立場であきれる読解力を見せる分野が北朝鮮だ。その間、韓国社会では北朝鮮の言葉と文をできる限り肯定的に解釈することが知識人らしくクールであるかのように映った。「啓蒙君主金正恩(キム・ジョンウン)」がそうだ。北朝鮮の人権侵害、経済難を批判すれば反共論理にとらわれている最後の世代と見なされたりした。しかし知的虚栄と戦略不在、政治的計算が結びついて北朝鮮を誤訳すれば自身をだますことになり、後には北朝鮮からも無視される事態が生じる。
#.「(韓米連合訓練が)4月から例年レベルで進行されると聞いている。朝鮮半島情勢が安定期に入れば韓米訓練が調節されると期待する」。2018年3月、平壌(ピョンヤン)から帰ってきた対北朝鮮特使団が伝えた金正恩委員長の発言だ。
では、この言葉は韓米連合訓練の実施を理解するという意味なのか、それとも今後は訓練を調節しろという内心なのか。特使団の関係者は当時、「金委員長との面談で連合訓練の問題が出てくる可能性が高いとみていて、この問題が提起される場合は北側を説得する必要があると思って準備したが、その必要はなかった」とし、この発言を紹介した。
しかし4年が過ぎた今になって振り返ると「理解」はレトリックであり、内心は「調節」だった。さらに正確に表現すれば「調節」でなく「撤回」だ。昨年9月、金委員長が自ら「二重の態度、敵対視の観点と政策から先に撤回されるべきだというのが、我々が明らかにしている不変の要求」と明らかにした(昨年9月29日、最高人民会議)。北朝鮮が主張する「二重基準」と「敵対視政策」の代表事例が韓米連合訓練と戦略武器の搬入だ。連合訓練の中断が不変の要求ということだ。
北朝鮮訪問団は当時、何を聞いたのだろうか。
#.「同胞の南朝鮮の人民に核爆弾を落とすと威嚇したことは一度もない」(2016年2月、労働新聞の論評)。北朝鮮が核を開発しながら出していた対南プロパガンダが「同族は列外」だった。これを韓国側の一部の進歩団体が受け入れて「南側とは関係がない対米用」という主張をオウムのように繰り返した。2018年2月の朝鮮中央通信の論評はメガトン級だった。「国家核武力は民族共同の戦略資産」と主張した。韓米の核共有は聞いたことがあるが、「南北核共有」は想像を超えた。
北朝鮮の「民族共有」宣伝戦は数年も続かなかった。金与正(キム・ヨジョン)副部長が4月4日、「南朝鮮が私たちと軍事的対決を選択する状況になれば、やむを得ず私たちの核戦闘武力は任務を遂行する」という談話を出した。「同族には撃たない」という言葉遊びはこの日で終わった。
#.「言っておくが、いま米朝対話がなくなったのは仲裁者がいなかったからではない。あえてその理由を南側が好んで使う言葉で説明するなら、非核化のための『雰囲気の醸成』がなかったからだ…非核化という声はやめるのがよい」(2020年6月、北朝鮮外務省米国局長の談話)。
文在寅(ムン・ジェイン)政権当時の仲裁者外交が失敗したのは、米朝間の要求条件が全く違うにもかかわらず、これを無視して中間で雰囲気を作って結果を出せると信じたからだ。取引を成功させるには仲裁者が双方の条件と内心を正確に把握しなければいけない。
しかし米朝ハノイ首脳会談は米朝対話の破局で終わった。北朝鮮は「寧辺(ヨンビョン)非核化」を出したが、米国は「寧辺プラスアルファ」であり、最初から取引が成立する事案ではなかった。完全な非核化を望む米国の立場でも、不可逆的な体制の保証を望む北朝鮮の立場でも「雰囲気の醸成」がない状態だった。ハノイ会談をきっかけに北朝鮮は韓国に対する態度を完全に変えた。珍しい暴言も浴びせた。その内心には「私の話を正確に聞いてまともに伝えたのか」というもどかしさと怒りがあった。
北朝鮮は米国が受け入れることのできないAを要求するが、これをBと理解してファンタジーを夢見たのが、対北朝鮮読解力乱調の原因だった。北核ミサイルは常に韓半島を狙うのに「我々を脅かすものではない」として矢を米国に向けたのが認知力の水準だった。
別の見方をすれば、人生を生きていく知恵も対外情勢に対処する戦略も共通する点がある。現実をありのままに読み取らず自分が望む姿に潤色しても、現実の厳然たる難題は変わらないという点だ。潤色すればするほど頭の中のイメージは自分が相手にする現実と遠ざかっていくだけだ。
チェ・ビョンゴン/国際外交安保ディレクター
分断した韓半島(朝鮮半島)で暮らしている我々の立場であきれる読解力を見せる分野が北朝鮮だ。その間、韓国社会では北朝鮮の言葉と文をできる限り肯定的に解釈することが知識人らしくクールであるかのように映った。「啓蒙君主金正恩(キム・ジョンウン)」がそうだ。北朝鮮の人権侵害、経済難を批判すれば反共論理にとらわれている最後の世代と見なされたりした。しかし知的虚栄と戦略不在、政治的計算が結びついて北朝鮮を誤訳すれば自身をだますことになり、後には北朝鮮からも無視される事態が生じる。
#.「(韓米連合訓練が)4月から例年レベルで進行されると聞いている。朝鮮半島情勢が安定期に入れば韓米訓練が調節されると期待する」。2018年3月、平壌(ピョンヤン)から帰ってきた対北朝鮮特使団が伝えた金正恩委員長の発言だ。
では、この言葉は韓米連合訓練の実施を理解するという意味なのか、それとも今後は訓練を調節しろという内心なのか。特使団の関係者は当時、「金委員長との面談で連合訓練の問題が出てくる可能性が高いとみていて、この問題が提起される場合は北側を説得する必要があると思って準備したが、その必要はなかった」とし、この発言を紹介した。
しかし4年が過ぎた今になって振り返ると「理解」はレトリックであり、内心は「調節」だった。さらに正確に表現すれば「調節」でなく「撤回」だ。昨年9月、金委員長が自ら「二重の態度、敵対視の観点と政策から先に撤回されるべきだというのが、我々が明らかにしている不変の要求」と明らかにした(昨年9月29日、最高人民会議)。北朝鮮が主張する「二重基準」と「敵対視政策」の代表事例が韓米連合訓練と戦略武器の搬入だ。連合訓練の中断が不変の要求ということだ。
北朝鮮訪問団は当時、何を聞いたのだろうか。
#.「同胞の南朝鮮の人民に核爆弾を落とすと威嚇したことは一度もない」(2016年2月、労働新聞の論評)。北朝鮮が核を開発しながら出していた対南プロパガンダが「同族は列外」だった。これを韓国側の一部の進歩団体が受け入れて「南側とは関係がない対米用」という主張をオウムのように繰り返した。2018年2月の朝鮮中央通信の論評はメガトン級だった。「国家核武力は民族共同の戦略資産」と主張した。韓米の核共有は聞いたことがあるが、「南北核共有」は想像を超えた。
北朝鮮の「民族共有」宣伝戦は数年も続かなかった。金与正(キム・ヨジョン)副部長が4月4日、「南朝鮮が私たちと軍事的対決を選択する状況になれば、やむを得ず私たちの核戦闘武力は任務を遂行する」という談話を出した。「同族には撃たない」という言葉遊びはこの日で終わった。
#.「言っておくが、いま米朝対話がなくなったのは仲裁者がいなかったからではない。あえてその理由を南側が好んで使う言葉で説明するなら、非核化のための『雰囲気の醸成』がなかったからだ…非核化という声はやめるのがよい」(2020年6月、北朝鮮外務省米国局長の談話)。
文在寅(ムン・ジェイン)政権当時の仲裁者外交が失敗したのは、米朝間の要求条件が全く違うにもかかわらず、これを無視して中間で雰囲気を作って結果を出せると信じたからだ。取引を成功させるには仲裁者が双方の条件と内心を正確に把握しなければいけない。
しかし米朝ハノイ首脳会談は米朝対話の破局で終わった。北朝鮮は「寧辺(ヨンビョン)非核化」を出したが、米国は「寧辺プラスアルファ」であり、最初から取引が成立する事案ではなかった。完全な非核化を望む米国の立場でも、不可逆的な体制の保証を望む北朝鮮の立場でも「雰囲気の醸成」がない状態だった。ハノイ会談をきっかけに北朝鮮は韓国に対する態度を完全に変えた。珍しい暴言も浴びせた。その内心には「私の話を正確に聞いてまともに伝えたのか」というもどかしさと怒りがあった。
北朝鮮は米国が受け入れることのできないAを要求するが、これをBと理解してファンタジーを夢見たのが、対北朝鮮読解力乱調の原因だった。北核ミサイルは常に韓半島を狙うのに「我々を脅かすものではない」として矢を米国に向けたのが認知力の水準だった。
別の見方をすれば、人生を生きていく知恵も対外情勢に対処する戦略も共通する点がある。現実をありのままに読み取らず自分が望む姿に潤色しても、現実の厳然たる難題は変わらないという点だ。潤色すればするほど頭の中のイメージは自分が相手にする現実と遠ざかっていくだけだ。
チェ・ビョンゴン/国際外交安保ディレクター
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