ともかく『犯罪都市2』に続き今後公開される映画にも関心が高い。そのうちのひとつがカンヌ映画祭コンペティション部門に進出した是枝裕和監督の『ベイビー・ブローカー』だ。ソン・ガンホ、カン・ドンウォン、ペ・ドゥナ、イ・ジウン(IU)ら人気俳優が出演しすでに171カ国に販売されたという。是枝監督は釜山(プサン)国際映画祭の常連監督で早くから韓国映画人らと交流してきた。『空気人形』(2008)にペ・ドゥナが主演で出演した時に韓国俳優が出る映画を再び撮ることを期待したが、韓国映画の監督を引き受けるとは思わなかった。是枝監督は『万引き家族』で2018年にカンヌ映画祭でパルムドール(最高賞)を受賞した後、フランスで『真実』を撮り、今回は韓国で『ベイビー・ブローカー』を演出した。立派な監督が日本ではなく海外で続けて作品を作ることをめぐり日本の映画界に問題があるのではないかという声も出ているが、いまや「ワールドスター監督」として世界の映画人と息を合わせるのも自然なことだと考えられる。
濱口竜介監督は昨年の釜山国際映画祭で『ドライブ・マイ・カー』が上映された時、「釜山で撮ることにしたが新型コロナウイルスのためあきらめて日本で撮った」と明らかにしている。日本で撮ったが韓国の俳優も出演した。
現在日本で公開中である在日コリアン李相日(イ・サンイル)監督の『流浪の月』にはホン・ギョンピョ撮影監督が参加した。日本では『パラサイト』を撮影したホン・ギョンピョ監督が日本映画を撮ったと話題になったが、『ベイビー・ブローカー』もホン・ギョンピョ撮影監督が引き受けた。撮影監督がスポットを浴びることは多くないが、ホン・ギョンピョ監督は日本で「韓国映画界のレジェンド」として有名だ。『流浪の月』を見た日本の観客の中には「せりふではなく映像で主人公の心理を描いた」など彼ならではの映像美学について言及する人が多かった。このように韓国と日本の映画人が一緒に作った映画が相次いで出ている。
◇日本にもおなじみのカン・スヨン追悼
韓日映画人の交流をさかのぼると、ほとんどが1998年から段階的に始まった日本大衆文化開放と2000年代のドラマ『冬のソナタ』による韓流ブームを契機に活発になったとされる。だが事実日本では1988年から毎年韓国映画を劇場で公開してきた。88年はソウル五輪が開かれた年で韓国に対する関心が高まった時期だった。88年に日本で公開した韓国映画は『鯨とり』『青春スケッチ』などだ。『鯨とり』公開に合わせて主役を演じたアン・ソンギが日本を訪問し、「五輪だけではないまた別の韓国に対しても知る機会になれば良いだろう」と話したりもした。当時毎日新聞は「知的なマスクの韓国映画界トップスター」と紹介した。
『青春スケッチ』は最近死去した女優カン・スヨンが主役を演じたが、彼女がベネチア国際映画祭で主演女優賞を受賞した『シバジ』は89年に、モスクワ国際映画祭で主演女優賞を受賞した『波羅羯諦/ハラギャティ』も91年に日本で公開された。だからこの時期から韓国映画を見ていた日本のファンはカン・スヨンをよく覚えている。ドラマ『女人天下』でカン・スヨンが好きだった人たちはSNSに「もっと見たかった」と残念がる投稿を載せた。個人的には2015~17年に釜山国際映画祭が困難を経験した時期に執行委員長として活躍した姿を忘れることはできない。考えてみれば映画が厳しくなかった時期があったのかというほど多くの困難を克服してきた。新型コロナウイルスが落ち着いていくいま、先輩映画人に感謝し再び希望をかけてみたい。
成川彩/元朝日新聞記者
【コラム】映画館に観客集まるが外国人には「コロナ鎖国」変わらず=韓国(1)
濱口竜介監督は昨年の釜山国際映画祭で『ドライブ・マイ・カー』が上映された時、「釜山で撮ることにしたが新型コロナウイルスのためあきらめて日本で撮った」と明らかにしている。日本で撮ったが韓国の俳優も出演した。
現在日本で公開中である在日コリアン李相日(イ・サンイル)監督の『流浪の月』にはホン・ギョンピョ撮影監督が参加した。日本では『パラサイト』を撮影したホン・ギョンピョ監督が日本映画を撮ったと話題になったが、『ベイビー・ブローカー』もホン・ギョンピョ撮影監督が引き受けた。撮影監督がスポットを浴びることは多くないが、ホン・ギョンピョ監督は日本で「韓国映画界のレジェンド」として有名だ。『流浪の月』を見た日本の観客の中には「せりふではなく映像で主人公の心理を描いた」など彼ならではの映像美学について言及する人が多かった。このように韓国と日本の映画人が一緒に作った映画が相次いで出ている。
◇日本にもおなじみのカン・スヨン追悼
韓日映画人の交流をさかのぼると、ほとんどが1998年から段階的に始まった日本大衆文化開放と2000年代のドラマ『冬のソナタ』による韓流ブームを契機に活発になったとされる。だが事実日本では1988年から毎年韓国映画を劇場で公開してきた。88年はソウル五輪が開かれた年で韓国に対する関心が高まった時期だった。88年に日本で公開した韓国映画は『鯨とり』『青春スケッチ』などだ。『鯨とり』公開に合わせて主役を演じたアン・ソンギが日本を訪問し、「五輪だけではないまた別の韓国に対しても知る機会になれば良いだろう」と話したりもした。当時毎日新聞は「知的なマスクの韓国映画界トップスター」と紹介した。
『青春スケッチ』は最近死去した女優カン・スヨンが主役を演じたが、彼女がベネチア国際映画祭で主演女優賞を受賞した『シバジ』は89年に、モスクワ国際映画祭で主演女優賞を受賞した『波羅羯諦/ハラギャティ』も91年に日本で公開された。だからこの時期から韓国映画を見ていた日本のファンはカン・スヨンをよく覚えている。ドラマ『女人天下』でカン・スヨンが好きだった人たちはSNSに「もっと見たかった」と残念がる投稿を載せた。個人的には2015~17年に釜山国際映画祭が困難を経験した時期に執行委員長として活躍した姿を忘れることはできない。考えてみれば映画が厳しくなかった時期があったのかというほど多くの困難を克服してきた。新型コロナウイルスが落ち着いていくいま、先輩映画人に感謝し再び希望をかけてみたい。
成川彩/元朝日新聞記者
【コラム】映画館に観客集まるが外国人には「コロナ鎖国」変わらず=韓国(1)
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