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韓国映画界の初のワールドスター、空の星になる(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

8日、サムスンソウル病院葬儀場に用意された葬儀室の影像写真の中の女優故カン・スヨンさん。2004年、写真作家ク・ボンチャンさんがあるファッション紙の特集記事のために撮影したもの。当時、記事の見出しは「ザ・タイムレス・ビューティー」で、時間を超越した美しさという意味だった。[中央フォト]

韓国映画の初のワールドスター、カン・スヨンさんが亡くなった。5日午後、ソウル狎鴎亭洞(アックジョンドン)自宅で脳出血で倒れた故人は救急隊員が出動した当時心停止状態だった。病院に運ばれた故人はついに意識を取り戻せず、7日午後3時ごろ息をひきとった。56歳。

1966年ソウルで生まれた故人は69年TBC専属子役女優として演技を始め、一生女優として生きた。21歳だった87年ベニス国際映画祭でイム・グォンテク監督の『シバジ』でアジアでは初めて主演女優賞を受けた。世界3大映画祭であるカンヌ・ベルリン・ベニス国際映画祭で韓国映画の初めての受賞だった。代を引き継ごうとする欲望のせいで捕縛された山奥の少女役で国際的なスターになった。故人は87年1年間『青春スケッチ』『女と男・愛の終着駅』『燕山君』など6編の映画に出演するなど80年代韓国映画界を席巻した。89年故人はイム監督の『ハラギャティ 波羅羯諦』でモスクワ映画祭主演女優賞を受けた。尼僧役を演じて断髪を辞さなかった。

1990年代、故人はパク・クァンス監督、チャン・ソヌ監督、イ・ヒョンスン監督など「コリアンニューシネマ」監督らと全盛期を送った。『ベルリンリポート』(1991)、『競馬場へ行く道』(1991)など社会派映画と『あの女、あの男』(1993)、『激しい恋』(1996)なおロマンス・メローまで幅広い演技を見せた。『君の中のブルー』(1992)、『サイの角のように1人で行け』(1995)、『ディナーの後に』(1998)などでは女性の欲望にためらわず声を出した。ドラマでは2001年SBS時代劇『女人天下』で主人公のチョン・ナンジョン役で人気を呼んだ。


映画『ベテラン』(2015)の名セリフ「お金はないけど、カオ(プライド)までないのか?」が故人の飲み会の席から出たというエピソードから分かるように、故人は周りに気を配り気さくな性格だった。3歳で子役女優としてデビューした故人の映画に向かった情熱と講壇はカンさんが残した言葉にも残されている。故人はいつも今後の計画で「老いても良い女優として残ること」を挙げた。早目にワールドスターになったカンさんだったが、2007年MBC(文化放送)ドラマ『ムン・ヒ ~復讐に魅せられた女~』の出演を控えて中央日報とのインタビューで「本当に演技がうまいおばあさん女優になるのが計画」とし「元老女優が主人公を演じる『ドライビング Miss デイジー』や『黄昏』などを見て『私も後ほどあのようになれるだろうか』と考える。子役女優から始めて、老いても一生を女優として生きてきた一人の良い先例になりたい」と話した。2011年あるインタビューでも「60代でも70代でも演技者に残りたい。春香(チュンヒャン)役でなければ、(春香の母役)月梅(ウォルメ)をすれば良い」と語った。

故人は政治的な葛藤で座礁の危機に直面した釜山(プサン)国際映画祭の「救援投手」としても出た。1996年映画祭の発足初期から執行委員などとして活動してきたカンさんは、セウォル号惨事を題材にしたドキュメンタリー映画『ダイビング・ベル』の上映で2014年映画祭が破局に向かうと、翌年イ・ヨングァン執行委員長と共同執行委員長を引き受けた。2016年インタビューで「一生嫌な人は会わないで私の考え通りに行動してきたが、映画祭に入ってきてそれがすべてではないということを初めて感じた」と吐露した故人は2017年辞退した。



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