「いま2時間ほどトレーニングをしてきた。いつでも戦える準備ができてなければいけない」。
2年ぶりの復帰戦で勝利した秋山成勲(47)に「ゆっくりと休んだのか」と尋ねると、「試合の翌日からまたトレーニングを始めた」という言葉が返ってきた。
1975年生まれの満47歳で格闘技選手としては高齢の秋山に22日、ソウル江南区新沙洞(カンナムグ・シンサドン)で会った。秋山は「私は20代の選手とは違って時間が多くない。この年齢で完全に休んでしまえば、再びコンディションと体力を引き上げるのが容易でない」と強調した。また「オクタゴンで勝った時の快感は、私が好きな酒やラーメンとも引き換えることができる。鶏のささ身を食べていたのを牛肉を思う存分食べたというのが試合後の最も大きな逸脱」と言って笑った。
秋山成勲は先月26日、シンガポールで行われたONEチャンピオンシップ「ONE X」大会の総合格闘技ライト級(77キロ級)試合で、青木真也(39、日本)に第2ラウンドTKO勝ちをした。ライト級元チャンピオンの青木に苦戦するという予想を覆した。2020年2月のシェリフ・モハメド戦で第1ラウンドKO勝ちをした秋山は2年ぶりの復帰戦でもKOで勝利した。
第1ラウンドで青木の一方的なチョーク攻撃を耐え抜いた秋山は、第2ラウンド開始と同時に55連打パンチを浴びせて逆転ドラマを生み出した。秋山は「青木は組み技が得意なのでタックル防御練習だけでも2カ月間で数千回した。ところが試合開始30秒後に青木のチョーク攻撃を受けて身動きできない状況になった。非常に苦しくて1ラウンドだけでも2回タップ(試合放棄)しようとした。『この年齢で頑張って負けても悪く言う人もいない。苦労が無駄になるのは残念だが、このあたりであきらめよう』と思った」と打ち明けた。その秋山を奮い立たせたのはファンの声だった。第1ラウンドの後半、観客席からは「セクシヤマ」(秋山成勲のニックネーム)という応援の声が聞こえた。秋山は「呼吸ができず気絶する直前だった。その時にこの声を聞いた。気を取り戻した。ここで終われば格好悪いし、ファンにも申し訳ないと思って歯を食いしばってこらえた。第1ラウンドが終わると、青木の目から自信が消えていた。ここだと思って第2ラウンドにすべてものを出し切った」と逆転の秘訣を明らかにした。
秋山の勝利は韓日両国で大きな関心を集めた。秋山は「試合後、日本のファンから数千件のメッセージを受けた。6時間は何もせず返信ばかりをしていたが、すべてに返すことはできなかった」と話した。秋山は「私の同じ年ごろの中年のファンからのメッセージが忘れられない。彼は『事業に失敗して希望がなかった。自ら命を絶とうと決心した後にあなたの試合を見た。情熱と根気に感服し、もう一度挑戦することにした』とし、感謝しているという内容だった。別のファンは『がんで闘病生活がつらく、あきらめたかったが、試合を見て病気に勝つまで戦うことにした』と伝えてきた」と紹介した。
妻の矢野志保は心強いサポーターだ。小学4学の娘サランちゃんは依然として父の試合を見ないという。秋山は「サランは私が殴られるのも殴るのも嫌いだ。今回もはれた顔で家に帰ってきた私を見て泣いていた。それでも妻は新たな挑戦をいつも応援してくれる」と話した。
秋山の挑戦は続く。彼は50歳まで戦いたいという。最終目標はチャンピオンだ。秋山は「2003年の柔道世界選手権当時が私の人生で最もコンディションが良く自信があふれていた時期だった。19年ぶりにまたその当時の気分になれた。また全盛期を迎えた感じ」とし「今年下半期には韓国で試合をしたい。その次はチャンピオンへの挑戦が目標だ。引退まで時間は多くない」と強調した。
2年ぶりの復帰戦で勝利した秋山成勲(47)に「ゆっくりと休んだのか」と尋ねると、「試合の翌日からまたトレーニングを始めた」という言葉が返ってきた。
1975年生まれの満47歳で格闘技選手としては高齢の秋山に22日、ソウル江南区新沙洞(カンナムグ・シンサドン)で会った。秋山は「私は20代の選手とは違って時間が多くない。この年齢で完全に休んでしまえば、再びコンディションと体力を引き上げるのが容易でない」と強調した。また「オクタゴンで勝った時の快感は、私が好きな酒やラーメンとも引き換えることができる。鶏のささ身を食べていたのを牛肉を思う存分食べたというのが試合後の最も大きな逸脱」と言って笑った。
秋山成勲は先月26日、シンガポールで行われたONEチャンピオンシップ「ONE X」大会の総合格闘技ライト級(77キロ級)試合で、青木真也(39、日本)に第2ラウンドTKO勝ちをした。ライト級元チャンピオンの青木に苦戦するという予想を覆した。2020年2月のシェリフ・モハメド戦で第1ラウンドKO勝ちをした秋山は2年ぶりの復帰戦でもKOで勝利した。
第1ラウンドで青木の一方的なチョーク攻撃を耐え抜いた秋山は、第2ラウンド開始と同時に55連打パンチを浴びせて逆転ドラマを生み出した。秋山は「青木は組み技が得意なのでタックル防御練習だけでも2カ月間で数千回した。ところが試合開始30秒後に青木のチョーク攻撃を受けて身動きできない状況になった。非常に苦しくて1ラウンドだけでも2回タップ(試合放棄)しようとした。『この年齢で頑張って負けても悪く言う人もいない。苦労が無駄になるのは残念だが、このあたりであきらめよう』と思った」と打ち明けた。その秋山を奮い立たせたのはファンの声だった。第1ラウンドの後半、観客席からは「セクシヤマ」(秋山成勲のニックネーム)という応援の声が聞こえた。秋山は「呼吸ができず気絶する直前だった。その時にこの声を聞いた。気を取り戻した。ここで終われば格好悪いし、ファンにも申し訳ないと思って歯を食いしばってこらえた。第1ラウンドが終わると、青木の目から自信が消えていた。ここだと思って第2ラウンドにすべてものを出し切った」と逆転の秘訣を明らかにした。
秋山の勝利は韓日両国で大きな関心を集めた。秋山は「試合後、日本のファンから数千件のメッセージを受けた。6時間は何もせず返信ばかりをしていたが、すべてに返すことはできなかった」と話した。秋山は「私の同じ年ごろの中年のファンからのメッセージが忘れられない。彼は『事業に失敗して希望がなかった。自ら命を絶とうと決心した後にあなたの試合を見た。情熱と根気に感服し、もう一度挑戦することにした』とし、感謝しているという内容だった。別のファンは『がんで闘病生活がつらく、あきらめたかったが、試合を見て病気に勝つまで戦うことにした』と伝えてきた」と紹介した。
妻の矢野志保は心強いサポーターだ。小学4学の娘サランちゃんは依然として父の試合を見ないという。秋山は「サランは私が殴られるのも殴るのも嫌いだ。今回もはれた顔で家に帰ってきた私を見て泣いていた。それでも妻は新たな挑戦をいつも応援してくれる」と話した。
秋山の挑戦は続く。彼は50歳まで戦いたいという。最終目標はチャンピオンだ。秋山は「2003年の柔道世界選手権当時が私の人生で最もコンディションが良く自信があふれていた時期だった。19年ぶりにまたその当時の気分になれた。また全盛期を迎えた感じ」とし「今年下半期には韓国で試合をしたい。その次はチャンピオンへの挑戦が目標だ。引退まで時間は多くない」と強調した。
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