「この狂った戦争で恩恵を受ける者などただの一人もいない。罪のない人々と兵士だけが死んでいっている」「親愛なる『西側連合』はプーチンの体面を立てながらこの虐殺を止められるように確かな出口を用意してほしい。もっと合理的に、人道的に行動してほしい」
ロシアの有名財閥オレグ・ティンコフ氏(55)が19日(現地時間)、ウクライナ戦争を強力に非難した。ティンコフ氏はこの日インスタグラムに掲載したコメントでは激しい言葉でロシアのウラジーミル・プーチン大統領を直撃した。一部のロシア財閥が反戦メッセージを出したことはあるが、このように露骨にプーチン大統領と戦争を非難した人はいなかったと英国の日刊英紙タイムズは評価した。
ティンコフ氏は「司令官は自分の軍隊が全く使い物にならないことに気づいた」とし「国のすべてがどれも最低で、おべっかと追従、縁故主義に陥っているなら、その国の軍隊も押して図るべしだ」と非難した。また「クレムリンの官僚たちは地中海で夏休みを過ごすことができないという事実に衝撃を受け、企業家は残った財産を守ろうと慌てている」とし「もちろん『Z』(ロシアを支持する象徴)を描く間抜けもいるが、どこの国にでも10%の馬鹿はいるものだ。ロシア人の90%がこの戦争に反対している」と強調した。
◆一時1兆円を超えていた資産が10分の1に
ティンコフ氏はロシアで最も有名な企業家の一人で、2006年ロシアデジタル銀行ティンコフバンク(TCS)を設立した。同銀行はロシアで2番目の規模を持つクレジットカード事業者だ。ティンコフ氏の純資産は2015年82億ドル(現レートで約1兆518億円)でロシア15位だったが、2017年ロシアのオリガルヒ(新興財閥)として米国制裁リストに入ってからは半減した。ウクライナ戦争前の資産規模は44億ドルだったが、戦争以降は8億ドルに減ったと、フォーブスは先月明らかにした。
ティンコフ氏が反戦メッセージを出したのは今回が初めてではない。白血病で闘病中のティンコフ氏は戦争勃発直後の2月28日、インスタグラムに「国家は戦争ではなく人々を治療してがんを撲滅するための研究に金を使わなければならない」とし「私たちはこの戦争に反対する」と宣言した。「過去2年間、私は人生がどれくらい弱く脆いものか確信した。ウクライナでは罪のない人々が毎日死んでいっている。想像することも、容認することもできない」としながらだ。
ロシア政府とは一線を画していることも明確にした。ティンコフ氏は先月6日のコメントでは「オリガルヒは国と結託して金を儲け、政府の契約と予算に『寄生』する事業家」とし「私やセルゲイ・ガリツキー(ロシア版ウォルマートである『マグニト』創業者)はオリガルヒではない」と強調した。ティンコフ氏は「私はクレムリンに行ったこともなく、管轄者である中央銀行長を除いていかなる官僚とも会ったことがない。国営企業や国有企業とも一度だって契約を結んだことはない」とし「どうか私をオリガルヒと呼ばないでほしい」と強調した。
◆「オリガルヒは『寄生』事業家」線引き
ティンコフ氏はまた「私は白血病と戦っている退職者」とし「2年近くティンコフ銀行でいかなる職責にも就いておらず、取締役でもない」と強調した。続いて「私はただの少数株主であり設立者というだけで、いかなる事業もしておらずどこにも投資していない」と付け加えた。あわせて「戦争反対」ハッシュタグとともに「この狂った時間が一刻も早く終わることを祈る」とし「人間の命は大切だ」とも記した。
シベリア炭鉱鉱夫の息子として生まれ、サイクリング選手として活動したティンコフ氏は一時サイクリングのプロチーム「ティンコフ」を所有していたこともある。サンクトペテルブルク鉱業大学在学時代、留学生の友人と共に貿易事業に進出し、エストニア出身の妻ともこの時期に会った。本格的に事業に進出し始めたのは1992年シンガポール電子機器卸売貿易業をしながらだ。1994年サンクトペテルブルクに初めての家電売り場を開いて米国まで進出した。販売コンサルティング教育を導入するなど高級化戦略で3年で大きく成功した後、会社を700万ドルで売却した。
ティンコフ氏は1998年食品産業に進出して製品生産工場を3年後に2100万ドルで売却すると同時に、ビール事業のためにレストラン事業を始めた。これも2005年2億ドル規模で売却を成功させた後、2006年にティンコフ銀行を創業した。ティンコフ銀行はロシア最初の遠隔サービス提供銀行で2013年企業公開(IPO)とともにティンコフは米国市民権を放棄した。ティンコフ氏は2020年米国で脱税容疑で起訴されると約5億ドルを納付したと分かった。この時、白血病闘病事実を公開して銀行会長職から退いた。
ロシアの有名財閥オレグ・ティンコフ氏(55)が19日(現地時間)、ウクライナ戦争を強力に非難した。ティンコフ氏はこの日インスタグラムに掲載したコメントでは激しい言葉でロシアのウラジーミル・プーチン大統領を直撃した。一部のロシア財閥が反戦メッセージを出したことはあるが、このように露骨にプーチン大統領と戦争を非難した人はいなかったと英国の日刊英紙タイムズは評価した。
ティンコフ氏は「司令官は自分の軍隊が全く使い物にならないことに気づいた」とし「国のすべてがどれも最低で、おべっかと追従、縁故主義に陥っているなら、その国の軍隊も押して図るべしだ」と非難した。また「クレムリンの官僚たちは地中海で夏休みを過ごすことができないという事実に衝撃を受け、企業家は残った財産を守ろうと慌てている」とし「もちろん『Z』(ロシアを支持する象徴)を描く間抜けもいるが、どこの国にでも10%の馬鹿はいるものだ。ロシア人の90%がこの戦争に反対している」と強調した。
◆一時1兆円を超えていた資産が10分の1に
ティンコフ氏はロシアで最も有名な企業家の一人で、2006年ロシアデジタル銀行ティンコフバンク(TCS)を設立した。同銀行はロシアで2番目の規模を持つクレジットカード事業者だ。ティンコフ氏の純資産は2015年82億ドル(現レートで約1兆518億円)でロシア15位だったが、2017年ロシアのオリガルヒ(新興財閥)として米国制裁リストに入ってからは半減した。ウクライナ戦争前の資産規模は44億ドルだったが、戦争以降は8億ドルに減ったと、フォーブスは先月明らかにした。
ティンコフ氏が反戦メッセージを出したのは今回が初めてではない。白血病で闘病中のティンコフ氏は戦争勃発直後の2月28日、インスタグラムに「国家は戦争ではなく人々を治療してがんを撲滅するための研究に金を使わなければならない」とし「私たちはこの戦争に反対する」と宣言した。「過去2年間、私は人生がどれくらい弱く脆いものか確信した。ウクライナでは罪のない人々が毎日死んでいっている。想像することも、容認することもできない」としながらだ。
ロシア政府とは一線を画していることも明確にした。ティンコフ氏は先月6日のコメントでは「オリガルヒは国と結託して金を儲け、政府の契約と予算に『寄生』する事業家」とし「私やセルゲイ・ガリツキー(ロシア版ウォルマートである『マグニト』創業者)はオリガルヒではない」と強調した。ティンコフ氏は「私はクレムリンに行ったこともなく、管轄者である中央銀行長を除いていかなる官僚とも会ったことがない。国営企業や国有企業とも一度だって契約を結んだことはない」とし「どうか私をオリガルヒと呼ばないでほしい」と強調した。
◆「オリガルヒは『寄生』事業家」線引き
ティンコフ氏はまた「私は白血病と戦っている退職者」とし「2年近くティンコフ銀行でいかなる職責にも就いておらず、取締役でもない」と強調した。続いて「私はただの少数株主であり設立者というだけで、いかなる事業もしておらずどこにも投資していない」と付け加えた。あわせて「戦争反対」ハッシュタグとともに「この狂った時間が一刻も早く終わることを祈る」とし「人間の命は大切だ」とも記した。
シベリア炭鉱鉱夫の息子として生まれ、サイクリング選手として活動したティンコフ氏は一時サイクリングのプロチーム「ティンコフ」を所有していたこともある。サンクトペテルブルク鉱業大学在学時代、留学生の友人と共に貿易事業に進出し、エストニア出身の妻ともこの時期に会った。本格的に事業に進出し始めたのは1992年シンガポール電子機器卸売貿易業をしながらだ。1994年サンクトペテルブルクに初めての家電売り場を開いて米国まで進出した。販売コンサルティング教育を導入するなど高級化戦略で3年で大きく成功した後、会社を700万ドルで売却した。
ティンコフ氏は1998年食品産業に進出して製品生産工場を3年後に2100万ドルで売却すると同時に、ビール事業のためにレストラン事業を始めた。これも2005年2億ドル規模で売却を成功させた後、2006年にティンコフ銀行を創業した。ティンコフ銀行はロシア最初の遠隔サービス提供銀行で2013年企業公開(IPO)とともにティンコフは米国市民権を放棄した。ティンコフ氏は2020年米国で脱税容疑で起訴されると約5億ドルを納付したと分かった。この時、白血病闘病事実を公開して銀行会長職から退いた。
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