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韓半島と日本の国力が初めて逆転、壬辰倭乱を呼ぶ

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

壬辰倭乱(文禄・慶長の役)当時に使用された鳥銃。鉄砲が登場し、さらに強い鎧が製作され、さらに強力な鉄砲が開発される「軍備エスカレーション」が16世紀後半に日本で起きた。

韓国人なら日本を特別に憎んだり嫌ったりする人でなくても、日本を少し見下げる傾向がある。長く大陸の先進文明を島国に伝授した半島国の立場で、16世紀末と19世紀末の侵略は、普遍的な国際道義以前に生意気で恩を仇で返すものと感じられる。

しかし半島と島の地政学的な優劣関係は不変の原理でない。状況の変化によって変わる。金属文明の初期段階で満州と韓半島の間にも逆転があった。

「金属器文明が大陸から初めて伝播した時期には、大陸に近い位置の満州が当然、韓半島より先進地域だった。古朝鮮の首都の南下、扶余から高句麗の派生、高句麗から百済の派生がすべて先進文明の南進現象を見せる状況だ。(...)ところが紀元前3世紀以降、中国方面から鉄器による集約的農業文明が本格的に伝播し、文明の北高南低状況は徐々に変わり始めた。温暖な気候の韓半島がその段階の農業文明の定着にさらに有利な条件だったからだ」 (キム・ギヒョプの『外から見た韓国史』34ページ)。


満州と日本に対する韓半島の経済的・文化的優位は1000年間ほど続いたが、13世紀後半のモンゴル征服をきっかけに変化が始まった。未開状態だった日本の社会が多様な変化を起こし、15-16世紀の戦国時代を経て徳川の統一にいたった。16世紀に日本の経済力と軍事力は歴史上初めて韓半島国家を追い越し、その結果が壬辰倭乱に表れた。



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