私は1975年忠清南道礼山(チュンチョンナムド・イェサン)の中学校で4人の女性教師と一緒に勤務した時期から数十年間、韓国女性の法的権利・教育機会・職業選択などに現れた大きな変化を見守ってきた。韓国初の女性弁護士で1980年代家族法改正運動を率先していたイ・テヨン博士と、彼女が創立した韓国家庭法律相談所で会ったことも思い出される。駐韓米国大使在職時期には韓国女性の努力と業績を励ました。しかし韓国の性別賃金格差が相変らず経済協力開発機構(OECD)加盟国のうち最下位という点は懸念すべきことだ。
米国でも大きな変化があった。私が初めてソウルの勤務を始めたころ、当時駐韓米国大使の反対にもかかわらず、白人男性の専有物と見なされた政治課の辞令を受けた。私たちの世代の他の女性たちと同じように、私は駐韓米国大使を含めて数多くの外交関連職責で「最初の女性」だった。幸いなことに、もうこの分野で「唯一の女性」ではない。私が1986年ソウルでマデレーン・オルブライトに初めて会った当時、彼女は大学教授だった。その時でさえ彼女が米国初の女性国務長官になるとは想像もできなかった。そのうえ私が公職にある間、1人ではなく3人の女性国務長官の下で勤務することになるとは夢にも思っていなかった。だが、米国はまだジェンダー問題において性別賃金公平性、公衆衛生および保育支援、ヒビは入ったが壊れず、しかもある分野では韓国よりも高い「ガラスの天井」など、それなりに深刻な欠点を抱えている。
おりしも私が理事長を務めるコリア・ソサエティー(The Korea Society)が昨年から「韓米関係における女性のリーダーシップ」を主題にしてウェブセミナー(ウェビナー)シリーズを始めた。若いころは男性の隙間で非主流に分類されるかと思い、女性に特化したプロジェクトを避けていたが今ではこのような機会がむしろうれしい。先月の対談者は梨花(イファ)女子大学のキム・ウンミ総長とバーナード大学(Barnard College)のシオン・リア・バイロック学長だった。これら女子大学はどちらも1880年代に設立され、当時でさえ皆無だった女性大学教育を最初に始めたという事実にただ驚くばかりだ。
韓国の最も大きな資産は国民だ。大統領選挙も終わったので、これからは「ジェンダー戦争」から世代・性別・政派を合わせる包括的な討論に進み、不平等を解消してみんなのための機会を拡大することを期待する。
キャスリーン・スティーブンス/元駐韓米国大使・韓米経済研究所長
【米国から見た韓国】韓国大統領選挙を席巻した「ジェンダー戦争」(1)
米国でも大きな変化があった。私が初めてソウルの勤務を始めたころ、当時駐韓米国大使の反対にもかかわらず、白人男性の専有物と見なされた政治課の辞令を受けた。私たちの世代の他の女性たちと同じように、私は駐韓米国大使を含めて数多くの外交関連職責で「最初の女性」だった。幸いなことに、もうこの分野で「唯一の女性」ではない。私が1986年ソウルでマデレーン・オルブライトに初めて会った当時、彼女は大学教授だった。その時でさえ彼女が米国初の女性国務長官になるとは想像もできなかった。そのうえ私が公職にある間、1人ではなく3人の女性国務長官の下で勤務することになるとは夢にも思っていなかった。だが、米国はまだジェンダー問題において性別賃金公平性、公衆衛生および保育支援、ヒビは入ったが壊れず、しかもある分野では韓国よりも高い「ガラスの天井」など、それなりに深刻な欠点を抱えている。
おりしも私が理事長を務めるコリア・ソサエティー(The Korea Society)が昨年から「韓米関係における女性のリーダーシップ」を主題にしてウェブセミナー(ウェビナー)シリーズを始めた。若いころは男性の隙間で非主流に分類されるかと思い、女性に特化したプロジェクトを避けていたが今ではこのような機会がむしろうれしい。先月の対談者は梨花(イファ)女子大学のキム・ウンミ総長とバーナード大学(Barnard College)のシオン・リア・バイロック学長だった。これら女子大学はどちらも1880年代に設立され、当時でさえ皆無だった女性大学教育を最初に始めたという事実にただ驚くばかりだ。
韓国の最も大きな資産は国民だ。大統領選挙も終わったので、これからは「ジェンダー戦争」から世代・性別・政派を合わせる包括的な討論に進み、不平等を解消してみんなのための機会を拡大することを期待する。
キャスリーン・スティーブンス/元駐韓米国大使・韓米経済研究所長
【米国から見た韓国】韓国大統領選挙を席巻した「ジェンダー戦争」(1)
この記事を読んで…