自叙伝『安應七(アン・ウンチル、安重根)歴史』に出てくる内容だ。『安應七歴史』で最も興味深かったのは日本の捕虜を解放する場面だ。独立軍の参謀中将だった安重根は1908年6月、咸鏡北道(ハムギョンブクド)で捕虜とした日本の軍人・商人を解放した。日本人が「伊藤博文の企みで尊い命を殺戮する状況になった」と号泣すると、安義士は「同族と隣国の間に理由のない戦争を起こした人たちを追って消せ」とし、銃砲までも与えた。
独立軍の将校は不満を爆発させた。「苦労して捕まえた敵を解放すれば我々の目的はいったい何か」。返答が傑作だ。「我々も野蛮な行動をすることを望むのか。『弱いもので強いものを除去し、仁で悪に対敵する』という意味であり、どうか不平を言わないでほしい」。2年後に旅順監獄で執筆した『東洋平和論』の意志だ。
独立軍の将校は不満を爆発させた。「苦労して捕まえた敵を解放すれば我々の目的はいったい何か」。返答が傑作だ。「我々も野蛮な行動をすることを望むのか。『弱いもので強いものを除去し、仁で悪に対敵する』という意味であり、どうか不平を言わないでほしい」。2年後に旅順監獄で執筆した『東洋平和論』の意志だ。
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