1910年、安重根(アン・ジュングン)義士(1879~1910)は命をかけたハルビン義挙を前に、同志のチョン・デホに頼んで夫人と2人の息子をハルビンに呼び寄せた。義挙直前に家族の顔をもう一度だけでも見るつもりだったが、残念ながら家族は義挙翌日(10月27日)に到着し、会うことができなかった。当時、日本警察はこの家族を日本総領事館に連行して取り調べ、写真を撮った。
「安重根義士崇慕会」が所蔵する安重根義士の家族写真帖と獄中遺墨2点がサムスン文化財団リウム美術館の支援で保存処理される。サムスン文化財団は22日、安重根義士殉国112周忌を迎え、社団法人「安重根義士崇慕会」が所蔵する安重根義士の家族写真帖1点と遺墨2点など遺物保存処理を支援すると発表した。
サムスン文化財団が独立文化遺産の保存処理を支援するのは今回が初めて。財団側は「安重根義士の崇高な愛国精神と平和思想を多くの人々に知らせるために支援することにした」と説明した。サムスン文化財団リウム美術館は、美術品の修復と保存処理に相当な技術を保有している。
財団は昨年8月、安重根義士崇慕会、安重根義士記念館とともに安義士の遺物を調査し、保存処理が必要な遺物3点を選定した。財団は「安重根義士記念館と保存処理方法や範囲を協議して作業を始めており、作業全体は来年3月に終える予定」と発表した。保存作業を終えた遺物は安重根義士崇慕会に再び引き継がれる。
100年以上の歳月の痕跡で色あせ、古くなった写真の中には安重根義士が最後まで懐かしんだ家族、金亜麗(キム・アリョ)夫人と2人の息子の家族写真がある。韓服を着て座っている金亜麗夫人の隣に長男の芬道(ブンド)が立ち、次男の俊生(チュンセン)が膝の上に抱かれている。当時、日本警察が撮影した写真は、安重根義士の通訳官だった園木末喜が死刑が言い渡された後、安義士を気の毒に思って自ら用意した絹の写真帖に入れて手渡したという。その後、園木が保管していた写真は、日本の所蔵家によって2020年に韓国に返還された。
現在、写真帖は連結部が切れて分離し、角の部分がひどくすり減っている状態だ。サムスン文化財団は「幸いなことに写真は状態が良好で、写真帖の損傷部分を直し、できるだけ元の状態に復元する予定」と述べた。
安重根義士の精神が込められた獄中遺墨は「天堂之福 永遠之楽」「志士仁人殺身成仁」と書かれた書だ。安義士が1910年3月に旅順監獄で書いた書で、「天堂の福は永遠の楽」という意味で安義士の深い信仰心が込められている。元の所蔵者が誰なのかは不明で、安義士の家族写真帖とともに2020年に韓国に返還された。
「志士仁人殺身成仁」とは「高い志を持った士と善良な人は正しいことのために命を捨てる」という意味だ。裁判所で独立の信念と東洋の平和を叫び、多くの人々を感動させた安重根義士の毅然とした態度がそのまま込められている。この書は『論語』衛霊公編に出てくる「高い意味を持つ士と善良な人は生きるために人を害することなく自身を殺して仁を成す」という孔子の言葉を引用したもので、1910年3月に旅順監獄で安義士が自身の公判をスケッチした『土陽新聞』の通信員「小松元吾」に書いた遺墨だ。その後、遺墨は「小松元吾」の宗孫「小松亮」によって2016年11月、韓国に返還された。
サムスン文化財団側は「遺墨2点は作品の紙と装飾布(掛け軸の周囲を飾る布)の不均衡により折れてしわが寄っている状態」とし「現在、老朽化した布を天然素材の装飾布に交換している」と述べた。作品の紙は、リウム美術館で作った古糊(東洋古書画の保存処理に用いる接着剤で、10年以上壺で発酵させる)で裏打ちし、折れやしわを緩和する予定だ。遺墨を長く安全に保管できるよう、太い巻き軸と桐箱も新たに製作される。
「安重根義士崇慕会」が所蔵する安重根義士の家族写真帖と獄中遺墨2点がサムスン文化財団リウム美術館の支援で保存処理される。サムスン文化財団は22日、安重根義士殉国112周忌を迎え、社団法人「安重根義士崇慕会」が所蔵する安重根義士の家族写真帖1点と遺墨2点など遺物保存処理を支援すると発表した。
サムスン文化財団が独立文化遺産の保存処理を支援するのは今回が初めて。財団側は「安重根義士の崇高な愛国精神と平和思想を多くの人々に知らせるために支援することにした」と説明した。サムスン文化財団リウム美術館は、美術品の修復と保存処理に相当な技術を保有している。
財団は昨年8月、安重根義士崇慕会、安重根義士記念館とともに安義士の遺物を調査し、保存処理が必要な遺物3点を選定した。財団は「安重根義士記念館と保存処理方法や範囲を協議して作業を始めており、作業全体は来年3月に終える予定」と発表した。保存作業を終えた遺物は安重根義士崇慕会に再び引き継がれる。
100年以上の歳月の痕跡で色あせ、古くなった写真の中には安重根義士が最後まで懐かしんだ家族、金亜麗(キム・アリョ)夫人と2人の息子の家族写真がある。韓服を着て座っている金亜麗夫人の隣に長男の芬道(ブンド)が立ち、次男の俊生(チュンセン)が膝の上に抱かれている。当時、日本警察が撮影した写真は、安重根義士の通訳官だった園木末喜が死刑が言い渡された後、安義士を気の毒に思って自ら用意した絹の写真帖に入れて手渡したという。その後、園木が保管していた写真は、日本の所蔵家によって2020年に韓国に返還された。
現在、写真帖は連結部が切れて分離し、角の部分がひどくすり減っている状態だ。サムスン文化財団は「幸いなことに写真は状態が良好で、写真帖の損傷部分を直し、できるだけ元の状態に復元する予定」と述べた。
安重根義士の精神が込められた獄中遺墨は「天堂之福 永遠之楽」「志士仁人殺身成仁」と書かれた書だ。安義士が1910年3月に旅順監獄で書いた書で、「天堂の福は永遠の楽」という意味で安義士の深い信仰心が込められている。元の所蔵者が誰なのかは不明で、安義士の家族写真帖とともに2020年に韓国に返還された。
「志士仁人殺身成仁」とは「高い志を持った士と善良な人は正しいことのために命を捨てる」という意味だ。裁判所で独立の信念と東洋の平和を叫び、多くの人々を感動させた安重根義士の毅然とした態度がそのまま込められている。この書は『論語』衛霊公編に出てくる「高い意味を持つ士と善良な人は生きるために人を害することなく自身を殺して仁を成す」という孔子の言葉を引用したもので、1910年3月に旅順監獄で安義士が自身の公判をスケッチした『土陽新聞』の通信員「小松元吾」に書いた遺墨だ。その後、遺墨は「小松元吾」の宗孫「小松亮」によって2016年11月、韓国に返還された。
サムスン文化財団側は「遺墨2点は作品の紙と装飾布(掛け軸の周囲を飾る布)の不均衡により折れてしわが寄っている状態」とし「現在、老朽化した布を天然素材の装飾布に交換している」と述べた。作品の紙は、リウム美術館で作った古糊(東洋古書画の保存処理に用いる接着剤で、10年以上壺で発酵させる)で裏打ちし、折れやしわを緩和する予定だ。遺墨を長く安全に保管できるよう、太い巻き軸と桐箱も新たに製作される。
この記事を読んで…