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【コラム】韓国戦争「祗平里」に大韓民国の生存懸けた…中国の人海戦術を撃破した勇気

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

米国陸軍第23連隊に配属され、祗平里の戦闘で武功を立てたフランス大隊員ら。写真左のモンクラール大隊長は自ら中将から中佐に階級を降格して参戦した逆転の勇将だ。彼らの他、KATUSAも大きく活躍した。[写真 キム・ソンス氏提供]

1月31日、攻勢に出た国連軍は戦線を30キロメートル以上北上させた。この時、左翼を担っていた米軍第2師団第23連帯も2月3日、楊平郡祗平里(ヤンピョングン・チピョンニ)を占領した。しかし、共産軍が旧正月直後の2月11日、いわゆる第4次攻勢を始めると戦況は逆転した。三馬峙の峠で国軍第8師団が崩壊し、戦線に大きな穴が開いたため、結局国連軍は10日前の進撃路を後退し始めた。この時、祗平里に駐屯していた米軍第23連帯も驪州(ヨジュ)に戻ろうとした。


しかし、そこをあきらめたら戦線全体に悪影響を与えると判断したリッジウェイ司令官が現地死守を命じた。ところが、中共軍も漢江(ハンガン)の南端まで上がってきた西部戦線の国連軍を圧迫するには、祗平里を占領しなければならなかった。そうして祗平里は大韓民国の生存を懸けた歴史的戦闘が行われる場所となった。




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