国の主人である国民が幸せな国をつくることが今日の時代的な課題だ。国民が望むその幸福を国政の目標に初めて提示した政治家は朴槿恵(パク・クネ)前大統領だった。朴前大統領は大統領選挙の過程でも「国民幸福10大公約」を提示し、就任後にも「国民幸福」を4大国政基調の一つとして推進した。
その朴槿恵政権で国民が感じる幸福度指数はむしろ悪化した。2013年の国連世界幸福度報告書で調査対象156カ国のうち韓国は41位だったが、2015年には47位、16年には58位に下がった。国民の幸福を国政の目標とする政府でむしろ悪化したのは、おそらく選挙で票を獲得するために国民幸福公約を提示したものの、実質的な意志がなかったからではないかという疑問を抱く。
実際、大統領選挙の過程で掲げた「国民幸福、希望の新しい時代」という国政ビジョンは、政権発足後には「国民幸福度」が抜けて「希望の新しい時代」に変わった。創造経済に代表される経済成長が最優先政策目標となり、親朴論争、秘線実力者国政壟断と弾劾事態などでまともに推進されなかった。
ついに2016年には多くの国民が広場に出て「これが国か」と叫び、「国らしい国」を公約した文在寅(ムン・ジェイン)候補が大統領に当選した。文大統領は就任演説だけでなく就任1、2、3周年演説でも「国を国らしくする」と繰り返し強調した。その文在寅政権で国民幸福度指数はさらに悪化した。2018年に57位だった国連世界幸福度報告書の順位は2019年には54位とやや改善したが、2020年には61位、21年には62位に落ちた。
こうした成績表は大統領の意志不足のためだろうか。そうではないようだ。文在寅政権は包容国家を目指してきた。「私の生活の責任を負う国家」を指向して制度を新設・強化し、公務員を過去最多に増やし、予算も歴代最大の600兆ウォン(約57兆円)を突破した。
ところがなぜ国民の幸福度はさらに低下したのか。その理由は国政を制度・公務員・予算など投入中心に運営し、国民の幸福という結果を中心に置かなかったからだ。一つの政策が決定したからといって意図した効果が自ずと出てくるわけではない。政策の執行過程に多くの集団と組織が介入しながら歪曲と抵抗が発生する。それで意図した効果が発生しなかったり、さらに最低賃金制や不動産政策に見られるように政策目標とは完全に反対になる逆説的な効果が表れたりもする。それでも国政は依然として投入中心だ。例えば予算は政府・国会ともに関心を集中させるが、その予算で成し遂げようとした目的が達成されたかを問いただす決算は誰も関心を向けない。
国の主人である国民の考えは違う。数えきれないほど多くの法規と制度、理解しがたい複雑な予算のような投入でなく、単純に我々の生活の質と幸せそのものに関心を向ける。朴正熙(パク・ジョンヒ)政権の月別輸出振興拡大会議のように、我々の幸福度と生活の質に関する水準を周期的に評価して進度を点検し、代案を考える場を持つことを願う。主人としては、代理人である選出職と任命職の公職者が我々の税金で我々のための仕事をしているのか、どの政府、どの地方自治体がより多くの成果を出したかを点検し、これを根拠に仕事を任せる。
そうするためには幸福と生活の質に関する統計を生産して公開すべきだが、今の国政運営の実情は基礎自治団体の場合、生活の質どころか基本的な所得統計さえも提供していない。次期政権はビッグデータ時代にふさわしく投入中心でなく、国民の生活の質と幸福という結果を中心に国政運営のパラダイムを根本的に革新することを望む。
キム・ビョンソプ/ソウル大行政大学院名誉教授/元政府革新地方分権委員長
その朴槿恵政権で国民が感じる幸福度指数はむしろ悪化した。2013年の国連世界幸福度報告書で調査対象156カ国のうち韓国は41位だったが、2015年には47位、16年には58位に下がった。国民の幸福を国政の目標とする政府でむしろ悪化したのは、おそらく選挙で票を獲得するために国民幸福公約を提示したものの、実質的な意志がなかったからではないかという疑問を抱く。
実際、大統領選挙の過程で掲げた「国民幸福、希望の新しい時代」という国政ビジョンは、政権発足後には「国民幸福度」が抜けて「希望の新しい時代」に変わった。創造経済に代表される経済成長が最優先政策目標となり、親朴論争、秘線実力者国政壟断と弾劾事態などでまともに推進されなかった。
ついに2016年には多くの国民が広場に出て「これが国か」と叫び、「国らしい国」を公約した文在寅(ムン・ジェイン)候補が大統領に当選した。文大統領は就任演説だけでなく就任1、2、3周年演説でも「国を国らしくする」と繰り返し強調した。その文在寅政権で国民幸福度指数はさらに悪化した。2018年に57位だった国連世界幸福度報告書の順位は2019年には54位とやや改善したが、2020年には61位、21年には62位に落ちた。
こうした成績表は大統領の意志不足のためだろうか。そうではないようだ。文在寅政権は包容国家を目指してきた。「私の生活の責任を負う国家」を指向して制度を新設・強化し、公務員を過去最多に増やし、予算も歴代最大の600兆ウォン(約57兆円)を突破した。
ところがなぜ国民の幸福度はさらに低下したのか。その理由は国政を制度・公務員・予算など投入中心に運営し、国民の幸福という結果を中心に置かなかったからだ。一つの政策が決定したからといって意図した効果が自ずと出てくるわけではない。政策の執行過程に多くの集団と組織が介入しながら歪曲と抵抗が発生する。それで意図した効果が発生しなかったり、さらに最低賃金制や不動産政策に見られるように政策目標とは完全に反対になる逆説的な効果が表れたりもする。それでも国政は依然として投入中心だ。例えば予算は政府・国会ともに関心を集中させるが、その予算で成し遂げようとした目的が達成されたかを問いただす決算は誰も関心を向けない。
国の主人である国民の考えは違う。数えきれないほど多くの法規と制度、理解しがたい複雑な予算のような投入でなく、単純に我々の生活の質と幸せそのものに関心を向ける。朴正熙(パク・ジョンヒ)政権の月別輸出振興拡大会議のように、我々の幸福度と生活の質に関する水準を周期的に評価して進度を点検し、代案を考える場を持つことを願う。主人としては、代理人である選出職と任命職の公職者が我々の税金で我々のための仕事をしているのか、どの政府、どの地方自治体がより多くの成果を出したかを点検し、これを根拠に仕事を任せる。
そうするためには幸福と生活の質に関する統計を生産して公開すべきだが、今の国政運営の実情は基礎自治団体の場合、生活の質どころか基本的な所得統計さえも提供していない。次期政権はビッグデータ時代にふさわしく投入中心でなく、国民の生活の質と幸福という結果を中心に国政運営のパラダイムを根本的に革新することを望む。
キム・ビョンソプ/ソウル大行政大学院名誉教授/元政府革新地方分権委員長
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