15日、仁川南洞区のマンションの事件現場から「公権力が逃げた」という声は残念という感情をはるかに超えている。自ら武装解除した警察の現住所を見るようで悲しい。権力機関権限分散を主張したチョ・グク(元法務長官)発の検察改革で規模が巨大化して動きが鈍くなると思っていたが、今度は船が逆に進んだ姿だ。マンションの騒音トラブルが招いた突然の流血事態に気が動転し、警察がマンション3階の犯行現場を抜け出して1階に降りていったという。いくら新米の試補巡査とはいえ想像しがたいことだが、さらにぞっとするのは釈明だ。「(警察)学校で学んだ通り、生命に直結する問題なので119救助要請が先だと考えた」。
もちろん生命が危険な被害者の救助を要請することは重要だ。しかし加害者を迅速に制圧して追加の攻撃を防ぐのが先だ。警察なら平常時の訓練で当然そのような能力を備えておくべきだった。まさか警察学校で、流血する被害者を置き去りにして安全地帯にこっそりと避難しろと教えるだろうか。私は警察が現場を離れたその瞬間、公権力が「空権力」に転落したと考える。国民の従僕としての職業精神、犠牲精神、使命感は弊履のごとく捨てられたのだ。もし被害女性が生命まで危険だったなら、巡査は未必の故意で取り調べを受けるかもしれない事案だ。ある警察行政学科教授の指摘だ。
「今回の事件は訓練・教育システムが故障していなければ発生することはない。実際、この巡査の同期の大半がコロナパンデミック期間に任用されたため、テーザー銃射撃訓練など現場対応訓練をまともに受けていなかったという。別の問題もある。新型コロナ防疫違反であれ、不法集会であれ、全国民主労働組合総連盟(民主労総)の前に立てば萎縮する警察だ。権力に従う組織の習慣は正すのは難しい。もともと警察映画はジャンルがほとんどノワールだが、現場離脱事件で突然、苦々しいブラックコメディになってしまった」。
空権力事態は4日後にも発生した。デート暴力問題で警察の身辺保護を受けていた30代の女性が元交際相手の男に殺害されるという事件が発生した。ストーキングの通報を6回もしながら「助けてほしい」という信号を送ったが、誰も耳を傾けなかった。我々の中の誰かが誠意と熱意、意志を持って救助信号に応えていれば、その女性が恐怖の中で死亡する悲劇を防げたかもしれない。
警察の対応を叱責する世論が強まると、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は22日、「二度とこのようなことが発生しないように育訓練を強化し、システムを整備すべき」と指示した。金昌龍(キム・チャンリョン)警察庁長官は全国警察指揮官会議を開き、「『現場対応力強化タスクフォース(TF)』を構成し『装備使用マニュアル』改善など総合対策を推進する」と明らかにした。過去の政権から数えきれないほど見てきた場面のリプレーだ。
大型人命事故や公務員のあきれる紀綱弛緩、使命感欠如事件が発生するたびに「TFをつくる」「マニュアルとシステムを見直す」と言うが、実際に良くなったものはない。マニュアルとシステムには組織の意志が込められている。そこに息を吹き込むのは人の意志だ。人命事故が発生した仁川の別の事件もそうだ。警察マニュアルによると、デーザー銃はもちろん銃器も使用することができた。過剰対応の声を恐れて使用しない雰囲気が形成されただけだ。結局は実践が問題だ。
「セウォル号沈没後、我々はうんざりするほどシステムを話してきた。災難対応システム、救助システム、海警システム…しかし我々は知っている。そのシステムを動かすのは結局はリーダーであり人だという事実を。システムは重要だ。ただ、システムが我々を救助すると信じるのは誤算だ」(『正義をお願い』)。
そうだ。セウォル号の船長は船内に閉じ込められた檀園高校の生徒に「その場で待機してほしい」と案内放送をしながら真っ先に海警の救助ボートで逃げた。今は変わったのか。「警察だからといって命を捧げる? 正直言ってそれなりの生活をするために公務員を選んだのではないのか」という反問が消えない限り、我々の意識は依然として沈没したセウォル号の中に閉じ込められている。セウォル号惨事から7年が経過したが、公権力の世界は一歩も進んでいない。文在寅政権にもセウォル号は存在する。巨大なセウォル号に比べて小さなセウォル号が生活現場のあちこちに危うく島のように浮いている。我々の社会は、今後どれほど多くの救助信号を受け流してこそ、適切に応答できる時がくるのだろうか。
チョ・カンス/論説委員
もちろん生命が危険な被害者の救助を要請することは重要だ。しかし加害者を迅速に制圧して追加の攻撃を防ぐのが先だ。警察なら平常時の訓練で当然そのような能力を備えておくべきだった。まさか警察学校で、流血する被害者を置き去りにして安全地帯にこっそりと避難しろと教えるだろうか。私は警察が現場を離れたその瞬間、公権力が「空権力」に転落したと考える。国民の従僕としての職業精神、犠牲精神、使命感は弊履のごとく捨てられたのだ。もし被害女性が生命まで危険だったなら、巡査は未必の故意で取り調べを受けるかもしれない事案だ。ある警察行政学科教授の指摘だ。
「今回の事件は訓練・教育システムが故障していなければ発生することはない。実際、この巡査の同期の大半がコロナパンデミック期間に任用されたため、テーザー銃射撃訓練など現場対応訓練をまともに受けていなかったという。別の問題もある。新型コロナ防疫違反であれ、不法集会であれ、全国民主労働組合総連盟(民主労総)の前に立てば萎縮する警察だ。権力に従う組織の習慣は正すのは難しい。もともと警察映画はジャンルがほとんどノワールだが、現場離脱事件で突然、苦々しいブラックコメディになってしまった」。
空権力事態は4日後にも発生した。デート暴力問題で警察の身辺保護を受けていた30代の女性が元交際相手の男に殺害されるという事件が発生した。ストーキングの通報を6回もしながら「助けてほしい」という信号を送ったが、誰も耳を傾けなかった。我々の中の誰かが誠意と熱意、意志を持って救助信号に応えていれば、その女性が恐怖の中で死亡する悲劇を防げたかもしれない。
警察の対応を叱責する世論が強まると、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は22日、「二度とこのようなことが発生しないように育訓練を強化し、システムを整備すべき」と指示した。金昌龍(キム・チャンリョン)警察庁長官は全国警察指揮官会議を開き、「『現場対応力強化タスクフォース(TF)』を構成し『装備使用マニュアル』改善など総合対策を推進する」と明らかにした。過去の政権から数えきれないほど見てきた場面のリプレーだ。
大型人命事故や公務員のあきれる紀綱弛緩、使命感欠如事件が発生するたびに「TFをつくる」「マニュアルとシステムを見直す」と言うが、実際に良くなったものはない。マニュアルとシステムには組織の意志が込められている。そこに息を吹き込むのは人の意志だ。人命事故が発生した仁川の別の事件もそうだ。警察マニュアルによると、デーザー銃はもちろん銃器も使用することができた。過剰対応の声を恐れて使用しない雰囲気が形成されただけだ。結局は実践が問題だ。
「セウォル号沈没後、我々はうんざりするほどシステムを話してきた。災難対応システム、救助システム、海警システム…しかし我々は知っている。そのシステムを動かすのは結局はリーダーであり人だという事実を。システムは重要だ。ただ、システムが我々を救助すると信じるのは誤算だ」(『正義をお願い』)。
そうだ。セウォル号の船長は船内に閉じ込められた檀園高校の生徒に「その場で待機してほしい」と案内放送をしながら真っ先に海警の救助ボートで逃げた。今は変わったのか。「警察だからといって命を捧げる? 正直言ってそれなりの生活をするために公務員を選んだのではないのか」という反問が消えない限り、我々の意識は依然として沈没したセウォル号の中に閉じ込められている。セウォル号惨事から7年が経過したが、公権力の世界は一歩も進んでいない。文在寅政権にもセウォル号は存在する。巨大なセウォル号に比べて小さなセウォル号が生活現場のあちこちに危うく島のように浮いている。我々の社会は、今後どれほど多くの救助信号を受け流してこそ、適切に応答できる時がくるのだろうか。
チョ・カンス/論説委員
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