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【コラム】2001年のNHK外圧議論後、日本メディアは慰安婦報道に距離置く(1)

ⓒ韓国経済新聞/中央日報日本語版

1991年に金学順さんが最初に慰安婦について証言した時にこれを報道した植村隆記者の法廷闘争過程を描いた西嶋真司監督の映画『標的』の一場面。[写真 西嶋真司、チェ・ウチャン]

世界的にネットフリックスの『イカゲーム』が大ヒットしている中、韓国ネットフリックスの順位を見れば『イカゲーム』に劣らずtvNのドラマ『漁村チャチャチャ』も人気がある。『イカゲーム』のような刺激的な作品も良いが私は『チャチャチャ』のような気楽に見られるドラマであわただしい日常を忘れる時間が良い。毎週末『チャチャチャ』で終える時間が癒やしだった。

予想通りハッピーエンドで終わったが温かな余韻を感じる暇もなく主演のキム・ソンホの私生活に関する議論が途轍もないスピードで大きくなった。放送降板、CM違約金などのニュースが相次いだ。元交際相手が暴露したというが私生活に対しては本人しかわからない問題だ。元交際相手もここまで問題が大きくなるとは思わなかっただろう。議論に包まれればその議論に対する検証もなく一瞬で仕事を失ってしまうのを見て恐ろしく感じた。元交際相手の暴露に対する虚偽疑惑もふくらんでいるが、いずれにせよそうまですべきことなのかと思う。おそらくキム・ソンホがいま最もホットな人だったのでこのように反応が大きかったようだ。

◇放送許可出ず退職して映画を作る


何年か前に朝日新聞の先輩記者が「ねつ造記者」という議論に包まれたことがある。日本にいるのが難しいほど激しい攻撃を受けこの数年を韓国で過ごしたりもした植村隆記者だ。彼は1991年に金学順(キム・ハクスン)さんが最初に慰安婦被害について証言した時に書いた記事のため長い時間が過ぎてから「ねつ造記者」と呼ばれることになった。

「ねつ造」という根拠に植村記者が「慰安婦」と「女子挺身隊」を誤用したと指摘する人もいるが、1991年当時韓国で「慰安婦」という意味で「女子挺身隊」という言葉を使ったりもしており、朝日新聞以外の他の日本メディアも使った。ところで「慰安婦」と「女子挺身隊」を誤用したとしても、何をねつ造したということなのか。金学順さんが慰安婦でなかったのではない。

植村記者は自身の名誉を回復するために法廷闘争に出た。10月に開催された釜山(プサン)国際映画祭で植村記者の法廷闘争を中心に描いたドキュメンタリー映画『標的』が上映された。『標的』を撮った西嶋真司監督は釜山映画祭で韓国の観客と対話した。「日本でドキュメンタリー映画を見にくる観客は年齢層が高い方だが釜山映画祭では若い観客が多く、質問内容を通じて歴史問題に対する高い関心を感じた」としてうれしそうな表情を見せた。釜山映画祭後に西嶋監督は『標的』で第33回アン・ジョンピル自由言論賞を受賞した。

西嶋監督はこの映画を作るために福岡の放送局RKB毎日放送を辞めた。もともとテレビのドキュメンタリー番組を作る考えから撮り始め、何度も企画書を出したが放送許可を得られなかったためだ。その理由は明確でないが、「慰安婦関連のためかもしれない」という。放送局に残ろうとするなら植村記者に関するドキュメンタリーはあきらめるほかなかった。テレビ番組ではなく映画として作るために35年勤めた放送局を2016年に退社した。

植村記者も2014年に朝日新聞を早期退職した。退職後教授に就任することに内定していた神戸松蔭女子学院大学には植村記者を雇用することに対する批判のメールと電話が殺到し、雇用契約を解約するほかなくなった。植村記者は「私の記事が真実なのかどうか確認しようともしない学校側の態度に失望した」と話す。非常勤講師として勤めた北星学園大学にも「植村を辞めさせろ」などの抗議メールと脅迫状が相次いで舞い込んだ。北星学園大学は植村記者が勤め続けられるよう努力したが結局辞めることになった。2016年に植村記者は日本を離れ韓国カトリック大学招聘教授に就任した。新型コロナウイルスにより韓日の往来が難しくなったいまは日本で雑誌「週刊金曜日」の社長の業務に専念しているという。


【コラム】2001年のNHK外圧議論後、日本メディアは慰安婦報道に距離置く(2)

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