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【盧泰愚元大統領死去】中国外交部「韓中関係に重大な貢献」…日本メデイアも速報で伝える

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

盧泰愚大統領がソウル五輪開幕式に参加し演説している。[中央フォト]

盧泰愚(ノ・テウ)元大統領死去のニュースに中国は哀悼の意を表した。中国外交部の趙立堅報道官は26日、「盧泰愚先生は中国に友好的で、早くから韓中修交を追求し、両国関係発展に重要な貢献をした」と評した。続けて「中国は盧泰愚先生の死去に深い哀悼を表し、家族に心からの慰労を表する」として盧元大統領を追悼した。

盧元大統領は1990年6月に当時のソ連と首脳会談を行った後9月に電撃的に修交し、1992年8月には中国と国交を正常化した。共産圏の国との修交を通じた和解ムード作りは冷え込んでいた南北関係の突破口を開くのに影響を及ぼしたと評価された。

主要外信も盧元大統領死去を緊急打電した。ロイター通信は盧元大統領がこの日ソウル大学病院で死去したとし「韓国が独裁者による統治から民主的選挙に移行する過程で中枢的な役割をしたが議論の余地が多い人物」と報道した。また、彼が軍事クーデターの共謀者で韓国の民主化後1987年に国民が直接選出した初の大統領になったが、反逆と腐敗容疑で懲役刑を宣告され不名誉に政治キャリアを終えたと伝えた。


AP通信は盧元大統領の外交的成果と政治スタイルを詳しく紹介した。AP通信は「北方外交政策の下、共産主義が崩壊した旧ソ連や東欧諸国と積極的に関係を構築した」と評した。続けて韓国は当時北朝鮮との競争関係のため反共産主義傾向が強かったが、盧元大統領は初めて1989年に共産主義国であるハンガリーと修交し、90年にソ連、92年に中国と相次いで修交したと伝えた。

AP通信はまた、彼の在任時期に北朝鮮との関係も改善されたと評した。南北は1990年に初の高位級会談を開催し、1991年には国連に同時加盟したとしながらだ。

その一方で、盧元大統領に対し「全斗煥(チョン・ドゥファン)を大統領にした1979年の軍事クーデターの核心メンバーだった。クーデターと1980年の民主化デモ隊に対する軍部の弾圧は激動の韓国現代史で最も暗い時期」と評した。続けて彼の政治スタイルに対しては「彼は軍出身であるのに選挙運動期間に自身を『普通の人』と呼んで穏健でやさしいイメージを作り、1987年12月の選挙で勝利した」と伝えた。

ブルームバーグは「故人は任期初年度の1988年にソウル五輪を開催して韓国を国際舞台に広く知らしめ、在任期間に韓国の1人当たり国内総生産(GDP)は倍に上がった」と評した。だが彼は退任後に不正腐敗で有罪を宣告されたと付け加えた。

日本のメディアも盧元大統領死去のニュースを速報で伝えた。朝日新聞は盧元大統領が「東西冷戦が終結した後の91年末には、北朝鮮との間で和解と不可侵を盛り込んだ南北基本合意書と非核化共同宣言に合意。旧共産圏のソ連や中国と国交を結んだ」と紹介した。

韓日関係においては1990年5月の盧元大統領の訪日時に当時の明仁天皇が韓日間の過去の問題と関連し、「植民地支配について『痛惜の念』とした天皇のお言葉を評価し、未来志向の関係の重要性を唱えた」と伝えた。当時の訪問では韓国大統領として初めて日本の国会で演説したとも紹介した。

NHKは盧元大統領について「ソウル五輪を成功に導き、経済成長を続ける韓国の姿をアピールした」と評価した。



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