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【盧泰愚元大統領死去】50年パートナーの盧泰愚氏と全斗煥氏…友情の末に疎遠

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

陸軍准将時代に握手を交わす盧泰愚(ノ・テウ)氏と全斗煥(チョン・ドゥファン)氏。 [中央フォト]

1970年代半ばのことだ。当時、空輸旅団長だった盧泰愚(ノ・テウ)元大統領は初めでパラシュート降下をしなければならなかった。尉官時代に空輸団で勤務していたが、空輸教育は受けていなかった。40代の盧氏にとって若い部下と共に訓練を受けるのは苦役だった。さらに直前に隣の部隊の旅団長が着地過程で倒れて気を失った。緊張するのは当然だった。その盧氏のために一緒に降下した人がいた。全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領だった。全氏は当時、第1空輸特戦団長だった。周囲の人たちは「2人の友情」といった。

盧元大統領の生涯で切り離せない人物が全元大統領だ。盧氏が自ら「私たちの2人は友情と同志愛が特に強かったが、公人になっても同じ」とし「他の人にはあまり見られない特殊な関係」と規定した。(盧泰愚育成会高禄)。

2人が会ったのは、1952年1月に新設された4年制の陸軍士官学校に共に入学した時だ。陸軍士官学校第11期で、約200人が同期だった。64年3月には2人が主軸になって陸軍士官学校出身の結社組織「ハナ会(一心会)」を創設した。「国の柱は我々だ」がスローガンだった。2人はリーダーであり最も親しい友人だった。79年10月に朴正熙(パク・ジョンヒ)大統領が死去すると、12・12クーデターも共に敢行した。


盧氏は全氏の席を4度も受け継いだ。大佐時代に徐鐘チョル(ソ・ジョンチョル)陸軍参謀総長の首席副官(70年1月)、そして将軍になってから青瓦台(チョンワデ、韓国大統領府)警護室作戦次長補(78年1月)、国軍保安司令官(80年8月)、そして民正党総裁(87年8月)だ。受け継いだわけではないが、大統領職も引き継いだ。盧氏はこうした関係について「全元大統領は何かあれば誰よりも真っ先にいくスタイルなので機会も多いが、運が悪ければ倒れることもある。倒れないように私が重心をつかむ役割をしているとそのようになった」とし「性格が妙に相互補完的だった。これも運命」と回顧した。

2人の友情に亀裂が生じたのは88年ごろだ。故人が大統領になった後、少数与党状況を迎え、第5共和国の清算という時代的な圧力は日々強まった。故人は結局、全氏を白潭寺(ペクタムサ)に送ることになった。側近のソン・ジュファン元広報処長官の回想だ。「当時、野党は全元大統領の拘束まで要求したが、盧元大統領が『絶対にいけない』と対抗した。大統領は友人に申し訳ないという感情を強く持っていた。我々が見るに、大統領はかなり無理な方法を使って全元大統領を保護したようだ」。

盧氏が大統領から退いた後の94年6月、2人は側近と共に江南(カンナム)の飲食店で和解の酒を交わした。しかし95年冬に不正資金事件で2人とも逮捕され、その後、12・12粛軍クーデターと5・18民主化運動(光州事件)の捜査が重なり、また2人の関係は遠ざかった。99年に盧氏の母が死去した際、全氏が弔問して20分間ほど言葉を交わしたのが事実上最後の対面となった。20歳に友人として始まり、最高権力を共に握った友情の最後は苦々しいものだった。

「胸に拭えないものが残っているというのは一つの歴史だ」。盧元大統領が生前に残した言葉だ。



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