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【コラム】韓国先端技術40年の結晶「ヌリ号」、国民をあげて励ますとき(1)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版

今月6月、全羅南道高興(チョルラナムド・コフン)の羅老(ナロ)宇宙センターで韓国航空宇宙研究院が韓国型発射体(KSLV-2)ヌリ号の認証モデルを移送装置に載せて発射台に移動させている。[写真 韓国航空宇宙研究院]

青年たちと技術革新の原理に関して話をする機会がたびたびある。そのような時になればイーロン・マスクが設立したスペースXの動画を時々見せる。打ち上げた推進体を最初に地上に再着陸させる2015年12月の映像だ。動画の後半部分には中継画面を息を殺して見守る数百人のスペースXの若手職員が推進体が着陸する瞬間、互いに抱き合って歓声をあげる様子が登場する。該当の映像を見た青年たちの反応は概ね似たようなものだ。技術的な成就を不思議に思いながらも、一方で羨ましいといった表情をする。

私たちにもそのような場面が誕生する機会がやってきた。予定通りなら今月21日午後、韓国技術者が一から十まですべて自分たちで製作したヌリ号が全羅南道高興(チョルラナムド・コフン)羅老(ナロ)宇宙センターから打ち上げられる。重さ1.5トンの衛星を地球の低軌道に打ち上げることができるロケットが16分間飛行するだろう。打ち上げ後40~50分が過ぎれば成否が判明するが、成功ならば液体ロケット技術で1トン以上の実用級衛星を軌道にのせることができる7番目の国となる。

独自発射体技術を持つということはどのような意味があるのだろうか。何よりもこの宇宙産業時代、私たちが打ち上げることになる多くの衛星を他国に委託する必要なく自ら宇宙に飛ばすことができるようになる。それだけでなく、国内で今まさに芽生えつつある民間宇宙産業を技術的に後押しする国家的インフラも備えることになる。スペースXの核心技術も、実はそのほとんどが米航空宇宙局(NASA)が蓄積した技術の伝授を受けたものだ。


◆37万個の部品が寸分違わず作動してこそ

戦略的価値も相当ある。自国発射体があれば、軍事目的や航法システム用衛星など国家的な目的を持っている衛星を情報流出の心配をせずに好きなときに打ち上げることができるためだ。さまざまな産業に波及効果が大きい極限技術のノウハウを持つという効果もある。一つのロケットが打ち上げられるということは、極低温(-183度)と超高温(3300度)の間を瞬時に移動する環境で37万個の部品が寸分違わず調和しながら作動するということを意味する。このような極限環境で何か作ったという経験は韓国の科学と産業技術水準をさらに引き上げる起爆剤となるだろう。私たちの力で宇宙の辺境に近付くという国家的な自負心は言うまでもない。

ヌリ号が現在の姿で発射場に立つまでは長い時間がかかった。1993年に小さな科学1号ロケットを打ち上げてからそろそろ30年になろうとしている。2013年に最初の宇宙発射体「羅老号」を成功裏に発射したが核心の1段目の推進体をロシアに依存し、まだ先は長いことを確認した。羅老号が打ち上げられる前の2010年、すでに独自技術の確保を目指してヌリ号プロジェクトを開始し、なんと10年が経過してようやくその結実を確認する瞬間に来たのだ。

発射体技術は安全保障と密接につながっている。国家間の技術移転が事実上不可能だ。独自技術の開発を行うということは最初から最後まで自ら試行錯誤を体験して這い上がる覚悟を持つということだ。そのうえ、明示的な科学知識だけでなく直接作る時に必要な暗黙的なエンジニアリングノウハウも数えきれないほど多い。例えれば、暗中摸索だが至るところにぬかるみがあるということだ。幸い、羅老号の経験が大きな資産になった。ロケット打ち上げの全過程を体験し、私たちのスタートラインがどこなのかを確認できたためだ。

◆推進体・燃料タンクなど難題山積

ヌリ号独自技術の最初の関門は推進体だ。ターボポンプ・燃焼機など、開発しなければならない核心技術が山積みなのに、そのうえ作った経験もないため試験設備さえまともにあるわけがなかった。2007年ロシア試験施設で実施した初めての燃焼実験は爆発音と共に失敗に終わった。真っ黒に焼け焦げてしまった残骸を見つめていた研究員の心情も炭のように真っ黒だったはずだ。そのような失敗を経て一歩ずつ前進した。ついに2016年、75トンの推進力を持つエンジンを完成し、このようなエンジン4つを束にして300トン級ヌリ号の1段目推進体を今年3月に完成させた。

燃料を入れるタンクを作る仕事も大きな障壁だ。直径3.5メートルに高さが10メートルを越える巨大な規模だが、厚さは2~3ミリほどの薄さでなければならない。金属版を作るのも、丸いキャップを作るのも、これを溶接してつないでいくのもすべて教科書のない難関の連続だった。作ってテストして再び作って…という執拗な試行錯誤の蓄積が唯一の解決法だった。それだけではない。発射場の設置や衛星を守るフェアリングの製作まで、その都度各種試行錯誤を繰り返して解決法を探っていった。今では私たち固有の経験で築き上げてきたこの技術は他の人々に簡単には教えることができない韓国の核心資産となった。

ヌリ号の打ち上げは韓国の科学技術と産業の全般的な水準を示す一つの指標的事件だ。基礎科学だけでなく機械・電子・化学・素材など各分野の科学知識と精密溶接などエンジニアリング経験に裏打ちされていなければ極限技術であるロケット分野でボルト一つもまともに作ることはできない。私たちは自動車や半導体、海洋プラントに戦闘機、そして今や発射体まで自分で設計して作ることができる国になった。すべて各産業分野の水準が一様にグローバル水準に達した時にこそ独自に完成できる技術なので、この水準に達した国は世界的に3、4カ国しかない。韓国産業も彼らと肩を並べることになった。


【コラム】韓国先端技術40年の結晶「ヌリ号」、国民をあげて励ますとき(2)

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