今月4日午後、仁川富平区(インチョン・プピョング)の旧三菱社宅全景。一時日本軍需工場に強制徴用された労働者の合宿所だった社宅は現在6棟だけが残っている。シム・ソクヨン記者
「撤去予定」と真っ赤な文字で壁にスプレー書きされたここは旧三菱社宅、いわゆる「チュル社宅」だ。1938年に弘中商工が労働者宿舎として作り、4年後に三菱製鋼が買い取った。家が軒を連ねていて列(韓国語でチュル)をつくっている様子からチュル社宅と呼ばれた。朝鮮人勤労者1000人余りがここで生活し、光復後には一般人が住んでいた。一時は16棟がひしめくように建っていたが、一軒ずつ撤去されて現在は6棟だけがかろうじて残る。1棟は家10余軒からなっている。
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