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【中央時評】コンプレックス民族主義と歴史清算=韓国(2)

ⓒ 中央日報/中央日報日本語版
「親日派」はそのような支配手法に最適化した言葉だ。私たちが問題にするべきことは日本と親しかったかどうかではなく、日本帝国主義に加担したかどうかだ。例えばフランス人がナチス反逆者を表現する言葉は「コラボ(コラボラシオン)」だ。「親独派」に該当する「Germanophile」は単にドイツやドイツ文化が好きな人という意味であり、何の問題にもならない。

親日派ではなく「日帝加担者」と直して言わなくてはならない。慰安婦に関連した学問的見解のために、正義連とナヌムの家と対立して魔女狩りに遭った朴裕河(パク・ユハ)さんに対して、その団体に対する社会的尊敬が崩壊しても知識社会の再評価がないのは印象的なことだ。朴さんの再評価には自分たちの間違いを認めることが伴うためではないか。議論は事態の構造ではなく個人の倫理次元に留まらなければならない。今では尹美香(ユン・ミヒャン)が新たな魔女であり、過去の魔女である朴裕河は沈黙により排除される。彼らは依然としてハンナ・アーレントに民族裏切り者の烙印を押した「悪の陳腐性」をいう。

コンプレックス民族主義は韓国男性特有の家父長的被害意識と関連がある。日本で歴史関連の発言が登場さえすれば突然怒りから噴出させる、日本とのスポーツ競技を「戦争」(対日戦)と規定して過度な執着をみせる被害意識のことだ。「最も民族的なものが最も世界的なもの」というゲーテの言葉も意味が変わる。ゲーテの言葉で「世界的」は人類の普遍性を意味する。韓国でその言葉は他の民族との比較と優劣を表現する。


民族は実在し、無視されることはできない。しかし普遍性を失った民族主義はいつも例外なく悪用される。コンプレックス民族主義が蔓延(まんえん)するとき、消されるのは民族内の階級の現実だ。そして階級の現実の普遍性に基盤を置いた人類愛だ。平凡な韓国労働者の友は同族の李健熙(イ・ゴンヒ)なのか、平凡な日本労働者なのか。今こそコンプレックス民族主義から脱し、普遍的人類愛を持つ個々人として立つ時がきた。今日、韓国市民は当然それ相応の資格がある。子供たちは初めからそのように生きていくように助けてやるべきだ。それが真の歴史清算であり回復だ。

キム・ギュハン/作家・『鯨がそう言った』発行人


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